会長 谷垣禎一 インタビュー


キーワードは「循環」
幼少の頃みた山の原風景と山の日に向ける思いについて
谷垣禎一が語ります


―― 谷垣会長の「山のはじまり」は、どこにありますか。

子どもの頃、父に奥多摩の沢登りに連れていってもらったことがありました。滝を登って、最後は藪をこいで稜線に上がります。
また父は、奥日光も好きでした。白樺の純林などきれいなところがたくさんあり、奥日光の森や山を歩いたのも、よい思い出ですね。

私が生まれたのは、昭和20(1945)年です。第二次世界大戦で日本が負けた年であり、私は敗戦の直前に生まれました。
よく父は、戦前に朝鮮半島を徒歩旅行した話をしていました。満州に赴任していたときに、母と見合いし結婚します。だから我が家は、水餃子を作って食べる習慣がありました。
海を越えた向こうの世界を、父は知っており、「日本のなかだけでものを考えるようになってはならない」と、いつも私に言っていました。そんな父の考えからなのか、1953年のイギリスのジョン・ハント隊によるエベレスト初登頂、1956年の日本隊によるマナスル初登頂の映画は、父に手を引かれて観に行きました。

そしていつしか私も、海を越えた向こうの未知なる世界を夢見るようになったのです。ヒマラヤの山々についても。
それは、飛行機でカトマンズに飛び、エベレストのふもとに向かうというよりも、中国からシルクロードを西へとたどり、チベット高原からアプローチするようなイメージでした。そしてその先には、カラコルム山脈があるということを思い描いていました。
海の向こうにフロンティアがあるのではないかと、思いをはせていたのです。

そんな、「未知なるものへの憧れ」が、私の山のはじまりにあるのだと思います。
中学・高校、大学の山岳部に入り、山登りを続けました。

――「山の日」に関わり始めたきっかけをお話ください。

かつての山の仲間たちが、「山の日」という祝日を作ろうと立ち上がったことが、きっかけとなりました。
私も議員の仲間に、山や登山に関わりのありそうな人を探しては、声をかけました。けれどそう多くいるわけでもなく、最初は、名前で判断していたぐらいです。たとえば名前に山名がついている議員さんに声をかけてみたり。大概、ご両親が山好きで、ご本人も山に親しんでいるんですよね(笑)。
そんな始まりではありましたが、だんだんと輪が広がりました。

日本は世界的にみても祝日が多い国であり、祝日を増やすのはそう簡単なことではありません。また、「山の日」ができたから山に親しむ国民が増える、という単純なことでもありません。

ときどき、「海の日」と比較されますが、海にはさまざまな産業が関わっています。漁業はもちろん、海運、造船など大きな産業です。そしてさらに、海水浴、サーフィン、シーカヤック、ダイビング、ヨットなどで海に親しむ人たちがいます。

一方で「山の日」となると、関わる産業の規模は海ほど大きくはありません。しかしだからこそ、「山の日」の始まりが、登山愛好者だったこと、「山に登る者」たちだったことは、自然の流れのように思います。事業者だけの集まりになると、いまほどの広がりはもてなかったかもしれません。山に登ることによって山の魅力を心底実感している愛好者たちがリードしたからこそ、山の魅力を伝えられるという一面もあると思いますし、この先に大きな可能性があると考えています。

――山は、谷垣会長にとって、また人々にとってどんな存在なのでしょうか。

私は4年前、趣味としていた自転車で転倒し、頚椎損傷という大きなけがをしました。それによって、いまも車椅子での生活を余儀なくされています。身体に障がいをもつようになり、わかったことがあります。

身体障がい者のスポーツがありますね。皆さん、彼らの活躍をみて感動すると思います。私もそのひとりでした。自分自身が自由に身体を動かせなくなって、そのすごさは一層実感するようになります。よほどの精進をしたのだろうと想像します。

けれど、本質はべつのところにあると思うのです。
私はいま、脊椎損傷専門のリハビリテーション施設に通っています。ここでは、毎年、富士登山があります。車椅子生活になった者が富士山に登るところまで回復させるのは、とても大変です。私ももう一度登ってみたいと思いますが、残念ながらいまは登れません。

富士山に登る彼らは、リハビリの一環だからとか、なにかの義務感にかられて登るのではないと思うのです。私自身がそうであるように、彼らは身体を動かしたい、山に登りたいと思って、富士山に取り組むのだと思います。どこまでできるかはわからないとしても、たとえつたないパフォーマンスだとしても、身体を動かす楽しさは、誰もが知っています。そんな彼らが富士山に登れば、そこにはその人自身の歓びや感動があるはずです。

本質は、ここにあります。
身体に障がいがあろうがなかろうが関係ありません。ほかの誰もが、山に憧れてよいのですし、山を思ってよいのです。


    山と海の循環による恵み
〜伯耆大山から見下ろす弓ヶ浜(鳥取県)〜

――「山の日」が向かうべき方向はどこにあるとお考えですか。

「循環」という言葉がキーワードだと考えます。

登山家・松涛明は、厳冬の槍ヶ岳北鎌尾根で遭難死します。そのときの日記が『風雪のビ
バーク』という書籍に収められていますね。

我々ガ死ンデ 死ガイハ水ニトケ、ヤガテ海ニ入リ、魚ヲ肥ヤシ、又人ノ身体を作ル、
個人ハカリノ姿 グルグルマワル 松ナミ


有名な一節なので、読んだ方も多いでしょう。彼がどんな心情でこの一文を書き残したのか、計り知れません。けれど、この一文から感じるものはありますね。

山は緑を育て、森を作ります。山の水は森の中を流れ、やがて海にたどり着きます。山の
滋養を充分に含んだ水は豊饒な海を作り、魚を育てます。この自然の循環を、私たちは自然のなかに身を置くことによって、より実感します。それを大切にしたい。
だから、「山の日」といっても山に登る人たちだけの日ではないのです。漁業に携わる方々にとっても大切な日となるし、河川もかかわってきます。山と自然にかかわるすべての人、事柄が、「山の日」とかかわり合いがあります。

日本の山には、山に住んでろくろを使い挽き物を作る職人やマタギもいました。山岳修験の歴史もあります。彼らの生活や文化がいまどのようになっているのか調べ、知ることも大切だと思います。山の自然にかかわることであり、山の文化を形成してきたひとつのピースです。
歴史をさかのぼれば、万葉集にもたどり着きます。生駒山、香具山、富士山、多くの山が万葉集に出てきます。四季折々の山の表情も歌われています。昔から、日本人の日常に、心の中に、山があったのです。

このように考えていくと、「山の日」には大きな可能性がありますね。山に登る者だけでなく、山の自然、科学、文化、芸術、歴史、あらゆることがテーマになります。

山の日が、国民にとって、山に登るだけでなく、仰ぎ見たり、山について考えたり、様々な形で山に親しむ機会となることを祈っています。

以上
2020年9月12日



インタビュー:柏 澄子