山の日レポート
通信員レポート
日々の生活と山並み「故郷を想う」
2022.05.02
私の人生で一番長く親しんできた山は、学生時代を含め富士山と丹沢山系になります。私は、駅から歩いて帰る時、この山並みは観てホッとします。皆さんもそれぞれ「生活の中の山」があると思いますが如何でしょう。
私の人生で眺めてきた山を順番に紹介してみたいと思います。
自宅近くの公園から見える富士山と丹沢(左端の頂が大山)
日光市(かつての今市)で、70年程前に生まれた私は、通学時日光連山を眺める日々でした。当時、女峰山には霧降高原スキー場があり、冬の帰宅時には揺らめく灯りを眺めながら歩いたことが思い出されます。
日光連山(左から男体山2484m、太郎山、女峰山)
北方には高原山が見え、子供心に「山という漢字は、この山が起源かな?」思ったものでした。夜には中腹の開拓村の明かりがキラキラ光り幻想的でした。
山の字型の流麗な山並み 「山の字に見えませんか」
鹿児島県と言えば「桜島」が有名ですが、都合7年に及ぶ鹿屋市での生活では「高隅山地」を眺めての日々でした。当時、冬季桜島が爆発すると「ヘ(鹿児島弁で灰のこと)」が流れてきて、山は霞み、車は灰だらけでした。
右端の頂が高隅山大箆柄「オオノガラ」岳(1237m)
広島県の江田島では、1975年の1年と1999年から2年半過ごしました。
嘗ての海軍兵学校、現在は海上自衛隊幹部候補生学校があり、背後に聳える山が古鷹山、鍛錬行事で何回登ったことやら(勿論走って登ります)。
左側のピークが古鷹山(標高394m)、頂上からは広島や呉の市街が望めます。
妻の故郷は鳥取県米子市、この縁で実家への帰省の度に「大山:だいせん」を眺めることになりました。当初「大山」を「おおやま」と言い笑われたものでした。
米子から望む「大山」
房総半島南東端「館山」では、通算3年半の生活でした。
ここからは西の空、相模湾越しに流麗な富士山を見ることが出来ました。
快晴の冬には、富士山がくっきり見える日がありました。
神戸では3年間過ごしました。アパートが六甲山の中(神戸市北区)にあったこともあり、休みの日は良く歩き回りました。
全山縦走(須磨海浜公園から宝塚迄)すると56㎞ありますが、周囲の交通の便が良く、体力・気力に応じた「山歩き」が出来ます。
最高峰は、六甲山(標高931.3m)で付近には、六甲山カントリー俱楽部やスキー場があります。
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