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山の日レポート

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通信員レポート「これでいいのか登山道」

【連載21】これでいいのか登山道 ~歩いてこその「道」~

2024.04.18

全国山の日協議会

よりよい山の道をめざして、私たちにできることは何だろうか?

 登山道法研究会では 、日本の登山道が抱える現状をいくつもの側面から捉え、とるべき方策を検討し、最終的に法整備ができないだろうかと、山岳・自然に関するさまざまな分野の有志が集まって勉強会を続けています。今回は(一社)水生生物保全協会の小林光さんに、「歩いてこその道」というタイトルで綴って頂きました。

連載21 歩いてこその「道」

文・写真  小林 光 (一社)水生生物保全協会

尾瀬ヶ原の山小屋を支える歩荷さん

 まだ30代後半の頃、南アルプス縦走の帰り、山腹の道を歩いていたところ、先頭を行くガイドが振り返ってこう言った。「この道は歩きやすいでしょう!」 言われてみれば、緩やかな下り道というだけでなく、足裏に感じる土の弾力も心地良かった。そう答えると、笑みを浮かべて「この道は以前、歩荷(ぼっか)さんが山向こうの村から峠を越えて生活物資を運ぶために使っていたんです」とその人は言った。昔の交易路、商業活動を行う際に利用していた物流経路だと言うのだ。重い荷を肩に担う歩荷さん達が歩きやすいように自分の足元から小石一つ、木の根の一本も取り除いていたと説明があった。「交易が途絶えた現代にあっても、地元村民の手によって道普請が続けられている」と話すその人の顔には、いくらか誇らしげな様子が見られた。

 今年、喜寿を迎えた私は体力も衰え、近年では年に1回登山するかしないかで、楽しみは専ら渓流釣りに変わってしまったが、学生の頃は年に100日も山に行くほど山道にはお世話になった。林業のための道・村人の生活路である里道から始まって、踏み跡道、獣道、道なき藪こぎを経て稜線の登山道に飛び出すことができた時の喜びは、今も忘れない。その時分には、歩きやすく整えられた登山道に感謝する気持ちもなく、特段、道について深く考えることもなく、当たり前のように利用していた。

 山道について心を動かされたのは、15年ほど前に四国・徳島県の山奥に友人と2人で渓流釣りに行ったときのことだ。渓の入口には壊れかかった吊橋が架かり、怖い思いをして渡ったその先には、踏み跡が続いたがすぐに見当たらなくなった。しかたなく渓流を釣り上ることになった。ヤマメは全く釣れず、どのくらい歩いたろうか。お昼過ぎになって突然目の前に廃屋が現れて驚かされた。何年前まで人が住んでいたのだろうか? 「用」の無くなった道、使われなくなった道は、すぐに廃道になってしまう現実を実感した。

歩く人がいなくなり、壊れかかった吊橋(写真:森 孝順)

 林道でも似たような経験をしたことがある。途中の橋が壊れたために車が通れなくなった林道を毎年のように通っていると、すぐに下草が生え灌木が伸びてきて道を覆い、5~6年ほどで人が通るのがやっとという状態になってしまう。高齢の登山者になって思うのは、快適に危険も少なく歩けることへの「感謝」である。若い頃には感じなかったことだ。

 利用されなくなった道が廃道化するのは必然で、それは仕方のないことであろう。誰かが必要だから道は残る。道が存続できるのは、道の成立経緯には関係なく、歩く人が存在するからにほかならない。まさに、歩いてこその「道」である。

荒廃する渓流で、山仕事の道も維持することが困難に

 そこで、登山道について考えてみたいと思う。現代の我が国において、誰が登山道を使い、利用しているだろうか。または、誰が登山道を必要と思っているだろうか。まず思い浮かぶのは登山者であろう。次に行政(国、自治体)が考えられる。行政は国民・市民の健康増進や登山等のレクリエーション普及に関心を持ち、税の一部を登山道整備に充てている。さらに、山で仕事をしている人々の必要もあるだろう。この中には林業・森林管理上での必要、山菜採りなど地元民の生活上の必要などが含まれる。これらについては別途検討する必要があるが、ここでは登山者を中心に考えてみたい。

 登山者は、ふつう、快適・安全に登りたい、歩きたいという希望を持っている。そういう方々について主に考えることにすると、登山者は、標識・案内板を含めた登山道及びその関連施設のみならず、山の自然そのもの、山小屋・山岳トイレなどの施設、もしかしたら遭難救助を含めた安全性についても利用させてもらっているのではないかと思う。現在の日本では、柵などで囲われた土地以外では自由に歩くことが暗黙のうちに容認されている。暗黙と言うより慣習的にと言った方が適切かも知れない。それは法的な規定がないからだ。たとえば狩猟は、柵などで囲われた土地以外の場所であればできる旨が「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」の体系の中で認められている。要するに、登山者は他者が所有する土地を、いわば無断で、また無償で利用しているのだ。

環境省により整備された上高地の歩道(写真:森 孝順)

 実際のところ、埼玉県の両神山では土地所有者が立入禁止の看板を設置して、登山界で大きな問題になったことがあった。現在では事前予約制で、環境整備料の名目で登山者から土地所有者が料金を徴収する状況になっている。英国と異なり、この件は山野を自由に歩く国民の権利が法律で保障されていない我が国の現状と関係する。この問題について将来的には検討する必要があると思うが、今は、登山道をいかに荒廃させないかを検討することが急務と考える。

 前述のように、利用されない山道の急速な荒廃を目の当たりにして不便、危険を感じたことを契機に山道に対する感謝の念を深めた私としては、登山者は登山道を含めた山岳地域を「利用させてもらっている」という「感謝の気持ち」をもっと持つべきではないかと思うのである。そうであれば、登山者が登山道整備に要する費用の一部を負担して当然なのではなかろうか。登山者が全部を負担すべきと言っているのではない。登山者も納税を通じて費用の一部を負担しているとはいえ、登山道利用の便益からみて十分かどうか吟味してみる必要がある。

土地所有者は、歩行者の立ち入りを制限することが可能である(写真:森 孝順)

 行政も登山活動の普及の必要性を痛感している時代でもあるし、山小屋経営者にしても登山者が来なくなれば困るわけで登山道整備は経営上も必要なのだから、関係者が協力し、力を合わせてそれぞれ相応の負担を分かち合うべき時代が到来していると思う。

 現在の山間地では、人口が減少し働き手が不足して地元民の善意だけでは登山道整備まで手が回わらない上、地元自治体も財政難に苦しんでいる状況だ。このまま手をこまねいていれば、登山道の荒廃は目に見えている。困るのは登山者自身ではなかろうか。

 北アルプスの上高地などで、登山道を維持するために任意の協力金を求める実証実験が始まったと聞く。この問題に関し、全国的な議論が必要になっていると考えるのである。もはや、そういう時代になっているのではないだろうか。

都市近郊のフットパス、土地所有者に感謝しての利用を要請(写真:森 孝順)

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伊吹山の入山協力金の受付、受益者負担が全国に拡大する傾向(写真:森 孝順)

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