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山の日レポート

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通信員レポート

日本一周!シーサイドウォーク 本州編(1)

2025.10.13

全国山の日協議会

はじめに

 今回の投稿は、シーサイドウォークで日本一周する切っ掛けとなった、2000年12月24日~2001年1月2日までの静岡県三島~東京~日立の自宅10日間、300㎞。
 この歩行は、「伊能ウォーク」と呼ばれるイベントへの参加によるものでした。伊能忠敬の測量開始から200年目にあたる節目の2000年まで、2年をかけて朝日新聞、伊能忠敬研究会、日本ウォーキング協会のコラボレーションで実施されました。
 1999年1月25日~2001年1月1日まで574日、11,030㎞を歩き通す本部役員(女性3名、男性13名)の他、私達のような一般ウォーカーがステージごとに単発で参加する長期的継続ウォークという壮大な一大イベントで、朝日新聞には役場等を渡り歩いた記録が毎日掲載されました。

伊能ウォークに参加

まず私は第1ステージの茨城県北茨城市役所~福島県いわき市小名浜海岸(37km)までと、第2ステージの福島県郡山市役所~須賀川市役所(14km)までを参加しました。

そして二年後、12月29日50歳の誕生日を節目として、伊能ウォークの最終(第5)ステージの静岡県三島市役所~東京まで参加することに決めました。
 伊能忠敬は200年前から実測による日本地図を作り「一身にして二生を生きた人」として、佐原の人々からは学問や実践は年老いてからでも遅くないと云われていたようです。その生き方に共感し、自分の気力、体力、忍耐力に挑戦すべくテント、寝袋、ガスコンロなどの装備16kgをザックに背負って幕営し歩くたびを決めました。

伊能ウォークの最終ステージ(三島~東京~日立)

12月23日、仕事を22日終え、装備を整え、三島駅に夜に着きました。

①三島市役所~箱根~箱根芦ノ湖畔(幕営)24㎞(2000.12.24)
 天気は快晴で、出発時には大勢の参加者が集まり、中には地元の代議士も参加し、各々芦ノ湖に向かって楽しく話しながら歩きました。
 何よりも感動したのは、歩いては目の前に真っ白な富士山がとても大きく、初めての景色を見て、贅沢な旅をしたものだと思い、一生忘れられない思い出でした。

②箱根集会所~小田原市役所 20km (2000.12.25)
その日に分かったことは、12月26日は終日小田原市内を主催者、参加者達で練り歩く日程なので、私は小田原運動公園まで歩き、そこで幕営することにし、翌日から単独で東京まで歩くことを決めた。

③小田原~大磯~茅ケ崎の小学校 32㎞ (2000.12.26)
一人旅の自由の身となり、立ち寄ったのが、大磯の旧島崎藤村邸である。

④茅ヶ崎~横浜 30㎞ (2000.12.27)幕営

⑤横浜~川崎駅付近 11km (2000.12.28)  駅付近の公園で幕営
居酒屋での夕食後、店を出る時に‟ひたちなか産の干し芋“を沢山頂き、自宅までそれを行動食に役立てたのである。感謝!

⑥川崎~神田駅 20㎞ (2000.12.29)
 12月29日は私の誕生日なので、初めて宿に泊まり、その勢いで伊能ウォークのゴール地の東京を超え、さらに茨城県日立市の自宅まで歩くことに決めた。

⑦神田~茨城県取手 40㎞ (2000.12.30)
 この日から国道6号線に入り、ウォークは7日目にして、取手まで40㎞と一番長い距離なので、一歩一歩気合を入れて進んで、やっと利根川にたどり着き、長さ1209mの利根川一の長い橋をわたり、夕方取手に着き、大いに感激したのを覚えている。

⑧取手~石岡の日立国分寺付近 42㎞ (2000.12.31) 
 この地は古代に常陸国の政治の中心地として栄え、2010年に国の史跡に指定されました。

⑨石岡~水戸~ひたちなか市外野付近の小学校 43km (2001年 元旦)
国道6号で水戸市に入り、以前8年間お世話になった勤務先で、千波湖付近の道を歩いていたら15~16年振りの男性を覚えていたので、即挨拶をした。茨城県中学野球で優勝した学校のバッテリーを組んだキャッチャーの親族のHさんで、茨城県の強豪校を破って、甲子園で活躍した姿は今でも忘れない。まさかここで再開するとは思わなかった。
 
⑩ひたちなか市~国道245号線~日立市自宅 30㎞ (2001.1.2)
最終日は、楽勝の距離で、道もいつもの景色で楽々と歩きました。

10日間年末年始家を空けて、470,697歩き通し、自宅にたどり着いた時の家族の出迎えには感無量でした。
これからの私の人生は、どんな世の中が変ろうと、夢とチャレンジ精神を失わず、自分の二本足で立って、ボチボチ歩いて行くのが一番です。

番外編 ”奥の横道”

これは私が20歳代の頃、歩いているところを偶然新聞記者に何しているのですかと尋ねられたので、歩いてるんですと答えたら、それは分かっていると云われ話しかけられました。
私は日本海〜太平洋までの地図から見ると、横に歩いているので"奥の横道"ですねと答えたら、それを使わせて頂きます。と云って後日写真と新聞記事まで送ってきました。

***鮫川太一さんのご紹介***

元高校教員。
24年間トータル387日かけて12,117キロ、海岸線沿いに日本一周を成し遂げる。
日本一周では一人黙々と歩き、写真も撮らず小さなノートに記録を記しただけ。
中身より映像で伝えることを目的とした発信が多い今日のネット社会の中で、ひたすら目標を追ってきた。

他にも、登山、マラソン、オペラ鑑賞、囲碁と、多方面に造詣が深い。
夫人と二人のお子様と共にマラソン大会に出場するなど、家族でも広く活動している。

鮫川太一さん

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