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山の日レポート

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通信員レポート

日本の山々に導かれて 第三回

2023.06.01

全国山の日協議会

上野(うえの)の山、あれこれ 文:宗教研究家 小野文珖

宗教研究家、本会会員小野文珖さんに、日本の山々にまつわる伝承を5回にわたり語ってもらいます。今回はシリーズ3回目となります。

緑に包まれた上野の山の公園

東の京の鬼門

 元和2年(1616年)、駿府城内で死期を悟った前征夷大将軍徳川家康は、関東天台宗の総本山、川越喜多院の天海僧正を枕元に召した。
「東の京の江戸を、何百年も日本統治の都にするためには、どうしたらよいか?」
 天海は沈思黙考し、「その昔、桓武天皇が都を奈良から京に移した時、京都の鬼門に当たる比叡山に、最澄・伝教大師に一寺を建立させ、王城鎮護の要(かなめ)としました。その後千年に渡って帝都が連綿として栄えております。」
「江戸の鬼門の山に、都を守る大寺を建立せよ」
 家康亡き後、天海は、神君の遺命として、江戸の郊外を尋ね、武蔵丘陵の東端、忍(しのぶ)が岡の台地を江戸城の鬼門と定め、東の比叡山、東叡山(とうえいざん)と名づけ、2代秀忠・3代家光によって「寛永寺」を完成させた(冨山房『大僧正天海』)。忍が岡の麓にはすでに町屋が形成されており、下谷(したや)と呼ばれていて、丘の上を上野(うえの)と江戸の町民は呼びならわしていた。「上野の山」が通称となったのである。
 関東・東北地方から江戸に入る玄関口で、標高わずか24、5メートルの、山とは言えない台地であるが、昔も今も、「東京」に入るのは(「東京」から出るのにも)この山の下が起点となっている。
 新幹線ができる前は、JRの東北本線・常磐線・宇都宮線・高崎線・上越線・信越線・北陸本線が、この山の駅を発着していたのである。
 上野の駅の不忍(しのばず)口から山に向かい、石段を上っていくのが昔の登山道で、しばらく歩くとこんもりとした丘につきあたる。立看板があり、「摺鉢山(すりばちやま)」の解説がある。公孫樹や欅の大木に囲まれた、東京都とは思えないうっそうとした場所だ。頂上は円形広場になっていて、ここが上野の山の最高峰。木々の透き間から、「正岡子規記念球場」が見下ろせる。駅公園口の方へ歩いて行けば、上野動物園や東京国立博物館の広場に出る。ここは寛永寺根本中堂の跡地である。

上野駅と上野公園

上野戦争と大震災

 徳川時代は人類の世界史上まれにみる安定した時代で、250年も平和が続いた。江戸は当時の世界でも1・2を争う大都市として栄えた。江戸の終焉は、1868年(明治元年)の上野戦争である。薩長の討幕軍に反抗した幕府の有志が上野の山に本陣を構え「彰義隊」を結成した。旗本達2千人余りが籠り、西郷隆盛率いる官軍と戦い、1日で壊滅した。その時、上野の山の寛永寺の堂塔は焼き払われたのである。
 歴史の皮肉か。江戸の町民が上野の山に放置されていた彰義隊士の遺体266人を荼毘(だび)に付して山上に墓を作ると、その後西南戦争で自害した西郷隆盛の銅像がその前に造立されて、上野の山といえば「西郷さん」と言われるようになってしまった。明治新政府の思惑を推し測らざるを得ない。
 その後の東京は、不幸が続く。1923年9月1日、関東大震災が勃発、東京府の死者・行方不明者は5万8千人を超え、上野の山は被災者であふれ、戊辰の役で焼け残った寛永寺の大仏も倒壊してしまった。昭和天皇が軍服姿で被災者がひしめく上野の山を視察され、防災上非常に重要であると、上野戦争後官有地になっていた上野の山全体を東京府に下賜され、「上野恩賜(おんし)公園」と呼ばれるようになった(柳美里『JR上野駅公園口」)。今年はちょうど震災100年目に当たる。

彰義隊士の墓  写真提供:「幕末トラベラーズ」サイト

彰義隊士の墓の前に立つ西郷隆盛像

東京大空襲と戦後

 上野恩賜公園の観音堂の近くに、「時忘れじの塔」が建っている。第2次世界大戦の東京大空襲の慰霊碑である。1945年3月10日、B29の大編隊が東京下町を襲った。わずか2時間で10万人もの命を奪った大惨事である。上野公園に運ばれた遺体が7千8百体余りという。まわり中が火の海で、人々が逃げまどっていた。「西郷隆盛」はこの悲惨な有り様を山上からどのようにして見ていたのであろうか。
 すりばち山の麓には、天海大僧正の毛髪塔が残されている。天海はこの火焔地獄をどのように説くのか。寛永寺は徳川家の菩提寺である。神君家康を祀る上野東照宮が山上に在る。家康は、「大日本帝国」の滅亡の瞬間をどのようにとらえたのであろうか。
 戦後、上野の山はホームレスのメッカとなった。特にバブル崩壊後は公園内はブルーシートの小屋で埋めつくされたという。東北からの出稼ぎと集団就職の若者がブルーシートと交錯する。動物園のパンダ人気の裏側で、「特別清掃」と称する「山狩り」が度々行われ、2回目の東京オリンピックを迎えたのである。
 2023年の春、コロナウイルス禍に耐えた3年ぶりの上野の山の桜見物。どこに行ったのか、ブルーシートの小屋は1つも目に入らなかった。

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