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広島大学元教授 ケシャブ・ラル・マハラジャン先生に聞く「ヒマラヤから学ぶ、山岳地域の“暮らし”と“持続可能な山の未来”」
2026.07.22
2026年12月6日、宮城県栗原市で開催する「国際山の日2026シンポジウム in みやぎ」。
今回のシンポジウムでは、長年にわたりネパールをはじめとするヒマラヤ地域で、農業・農村開発や山岳地域の持続可能な発展について研究・教育・国際協力に取り組んできた、広島大学元教授 ケシャブ・ラル・マハラジャン先生(公益財団法人全国山の日協議会 科学委員会委員)をお迎えします。
シンポジウム開催に先立ち、「国際山の日」の意義や、山と人々の暮らし、そして世界の山岳地域が直面する課題について、お話を伺いました。
■語り手:ケシャブ・ラル・マハラジャン 先生
広島大学元教授。専門は南アジア地域研究、農村開発論、農林経済学、国際開発学。ヒマラヤ地域を中心に、山岳地域の持続可能な発展や地域資源管理、農村開発に関する研究・国際協力に長年取り組んでいる。
2022年から2024年まで日本南アジア学会理事長を務め、同学会初のネパール出身理事長として学会の国際化を推進。日本とネパールをはじめとする南アジア諸国との学術交流や人材育成にも尽力してきた。
現在は、地域農林経済学会副会長を務め、同学会の年大会における国際シンポジウム、毎年初夏期における国際ワークショップ(英語による研究発表会)の定例化などを通じて、世界的地域農林社会経済課題に関する研究、学術交流、留学生・人材育成に尽力。同学会の国際化を推進。
公益財団法人全国山の日協議会科学委員会委員として、山岳地域の持続可能な未来に向けた活動にも携わっている。
■聞き手・撮影:全国山の日協議会 科学委員会担当理事 むらかみみちこ

マハラジャン、ケシャブ・ラル MAHARJAN, Keshav Lall केशव लाल महर्जन
むらかみ「最初に、“国際山の日とはどんな日なのか”、あらためて教えていただけますか?」
ケシャブ「国連は、2002年『国際山岳年(International Year of Mountains)とし、世界中に「山」に関する多様なイベントを開催するようよびかけました。キルギスで開催された『世界山サミット』で、2003年から毎年12月11日を『国際山の日(International Mountain Day)』とすることが合意されました。
FAO(世界食糧農業機構)を通じて毎年この日のイベント用に「山」の持続的開発等に関するテーマを設定しています。
ひらたく言えば、「この日は、人々に山へ関心を持つように喚起したりして、山の自然とそこで生活する住民の社会・文化について知る・考えるきっかけを作り、山の愛好家になってもらい、最終的に地球の自然、人類の営みのための資源の持続的利用について考え、行動するように仕向ける日」ともいえるのではと思います。」
むらかみ「先生は2006年、広島大学で『国際山岳の日ワークショップ』を開催されています。当時、どんな背景で企画されたのでしょうか?どんなお話が印象に残っていますか?」
ケシャブ「2006年のテーマは『Managing Mountain Biodiversity for Better Lives”(山間地住民生活向上のための生物多様性の活用)』でした。私は、当時勤務していた広島大学大学院国際協力研究科において『2006年「国際山岳の日(12月11日)」ワークショップ』を開催しました。目的は、多くの人々にネパールをはじめ世界中の山間地(山)について関心をもってもらうことでした。」
山、ネパールに関心ある各方面の方々に声をかけ、4名の方に各自の経験・体験についてお話をいただきました。
①広島市在住の中西稜子さんは、ネパール人の友人に誘われ、初めてネパール訪問した際の体験を紹介してくださいました。停電が多く、ゴミゴミとしてほこりぽい町とは対比的に澄んだ空気、きれいな山や自然について感銘を受けたことをお話しされました。
②笠井誠さん(当時 可部山岳会)は、何事もゆっくり、ゆっくり(のんびり)としたネパール人の生活・仕事ぶり、いわゆる「ビスタ―リ=ネパール語でゆっくりという意味」について自分の体験話を披露されました。
③田中勝彦さん(当時日本山岳会広島支部会員)は、マカルーベースキャンプまでのトレッキングと約標高4,300mのセイタカダイオウ[(ダテ科:Rheum nobile) Sikkim Rhubarb/ Noble Rhubarb, (ネパール語:パダムチャル)]と言われるとても美しい、非常に珍しい花との出会いについて興奮気味で紹介されました。
④清水正弘さん(当時 日本山岳会広島支部会員)は、海外経験豊富な登山ガイドであり、紀行作家、鍼灸師など多才な方でした。ネパール、インド、チベット、パキスタン、ブータンのヒマラヤに100回近く行き、その体験でそれぞれの地域に出会った自然、そこに住む人々との接触で感じたことについて、お話ししてくださいました。
「これらの地域に自分が存在しているだけで、何か偉大なものに触れている感覚がする」、「ヒマラヤのような大自然の持つ人間に対する効能は、心身における良薬では」、「現代社会の社会病理に対する処方箋のヒントがこれらの地域の自然や人々の暮らしの中に、隠されている」それが、自分がヒマラヤを訪れる回数の増しの理由だと仰ってました。
むらかみ「とても鮮やかに情景が浮かんできますね。会場も50名以上の学生や市民の方々で盛り上がったと伺っています。」
むらかみ「ここからは、先生のご専門について伺います。先生は長年、ネパールをはじめとする山岳地域で、農業や森林利用、農村開発に関する課題について研究されてきました。農業の視点から見ると、『山』はどのような意味を持つのでしょうか。」
ケシャブ「山の農業は、作物栽培・家畜・森林利用の三つが一体となった複合的な営みです。山に暮らす人々は、こうした自然の恵みを上手に活用しながら生活を築いてきました。
一方で、山はとても繊細な環境でもあります。山の生態系は微妙なバランスの上に成り立っており、自然災害だけでなく、人間の活動によっても容易にその均衡が崩れてしまいます。そして、その自然の上に成り立つ人々の暮らしもまた、とても脆弱なものです。
だからこそ山の人々は、長い歴史の中で培われた伝統的な知識を受け継ぎながら、自然を持続的に利用してきました。
例えば、『神々が宿る森』や『悪霊の住む森』として大切に守られてきた場所は、実際には土砂災害を防ぐ森林であったり、飲み水の水源地であったりします。そうした場所には寺院や仏塔が建てられ、人々の信仰だけでなく、地域社会や文化の基盤にもなっています。
つまり山では、自然・暮らし・文化・信仰が一体となって存在しているのです。
また、山間地域では平地に比べて農業生産力が低く、限られた土地で生活しなければなりません。南アジアの平地では一年に何度も作物を収穫できますが、高地では標高が上がるにつれて栽培できる作物が限られ、収穫回数も少なくなります。同じ面積でも収穫量は平地より少なく、それだけで一家の生活を支えることは容易ではありません。
そのため、多くの人々は冬になると出稼ぎや交易に出たり、家畜とともに季節ごとに移動して放牧を行ったり、薬草を採集したりと、複数の生業を組み合わせながら暮らしています。
こうした季節に応じた移動や多様な生業は、自然環境に適応するために育まれた山岳地域ならではの生活のリズムであり、地域固有の文化や社会を支える大切な基盤にもなっています。」
むらかみ「山と農業の関係を知ると、山の問題は自然環境だけの問題ではなく、そこに暮らす人々の生活や文化そのものに関わる問題だということがよく分かりますね。」

ネパールの山岳地域
むらかみ「ここからは、この20年間の変化についてお聞きします。2006年にワークショップを開催されてから、世界の山岳地域や『国際山の日』を取り巻く状況は、どのように変わってきたのでしょうか。」
ケシャブ「いくつかの大きな変化があると思われますが、それは20年よりも前から起きていると考えられます。
一つ目は、山の暮らしそのものの変化です。 背景には、山のバランスが崩れてきていることがあります。広い意味では近代化の影響とも言えますが、人々の生活様式の変容や、観光、経済の拡大などが関係しています。また、高収量が得られる外来作物の栽培には、灌漑水や化学肥料が欠かせないため、農業が化学肥料や農薬など外部からの投入財に過度に依存するようになりました。その結果、山の生活や食料調達も外部に依存せざるを得なくなり、山の暮らしはますます厳しくなっています。
ネパールで言えば、ナムチェバザルやゾムソム地域、アンナプルナベースキャンプ地域のように登山隊などの観光客が多く訪れる場所以外の高山間地域では、生活が厳しくなり過疎化が進んでいます。標高が2000m前後の山岳地域であっても、水の制御や灌漑ができないと農業を続けることが難しく、山村の維持は容易ではありません。
二つ目は、気候変動の加速です。 温室効果ガスの排出による地球温暖化は、もともと脆弱な山岳地域にさらに大きな影響を与えています。皮肉なことに、温室効果ガスをほとんど排出していない山の住民ほど、その影響を強く受けているのです。
山の生態系が変化すると、雪崩や土砂災害、洪水、森林火災などが発生しやすくなり、その影響は山だけでなく下流域や平野部にも及びます。南アジアでは国境を越えた課題となっており、日本でも猛暑や集中豪雨など、暮らしへの影響が年々大きくなっています。
地球全体の気温が上昇する中で、その影響は地域によって多少異なりますが、「第三極」と呼ばれるヒマラヤなどの雪山の氷や氷河が溶けるスピードが早くなっています。それにより海面が上昇し、将来的にバングラデシュなどの大部分が海水下に沈むとも言われています。
一方、降雨量に関しては、年間の総雨量があまり変わらなくても、雨の降る時期がずれたり、局地的なゲリラ豪雨が増えたりして被害が深刻化しています。これは日本においても言えることで、近年は35度以上の猛暑日が増え、日本の「熱帯化」が進んでいると言われています。ゲリラ豪雨による影響も増大しており、山岳地域だけでなく、社会全体へ暮らしの影響が広がっています。
三つ目は、国際協力の重要性です。
山の問題は、一つの国や地域だけで解決できるものではありません。だからこそ、国際社会が連携し、山岳環境の保全に取り組むことがますます重要になっています。
農業の分野では、FAOが提唱する『Climate Smart Agriculture(気候変動に対応した持続可能な農業)』が注目されています。化学肥料や農薬、化石燃料への依存を減らし、生物多様性を守りながら、持続的に食料を生産する考え方です。有機農業もその一つの実践例と言えるでしょう。
また、地域の伝統的な農業や文化、景観を一体として守る『世界農業遺産(GIAHS)』の取り組みも広がっています。認定地域では農産物や地域ブランドの価値が高まり、自然環境の保全と地域経済の活性化が両立する好循環が生まれています。
山の価値を山に暮らす人だけでなく、多くの人々が理解し支えていくことが、これからの山岳地域の未来につながると私は考えています。」
むらかみ「たしかに、山で起きている変化は、決して遠い国だけの話ではありませんね。私たちが暮らす日本でも、水や農業、生物多様性、さらには地域文化にも深く関わる課題であることがよく分かりました。」

ネパール・ヒマラヤの氷河(2026年4月)

むらかみ「長年ヒマラヤと向き合ってこられた先生が、“山が私たちに教えてくれること”をひとつ挙げるとしたら、どんなことでしょうか?」
ケシャブ「山は、人類がこの地球で暮らしていくために欠かすことのできない存在です。私たちは、水や食料、生物多様性など、数え切れないほど多くの恩恵を山から受けています。
しかし、山は自然の一部であり、とても繊細で脆い存在でもあります。自然は私たちに恵みを与えてくれる一方で、ときには厳しい災害をもたらすこともあります。
だからこそ、山のバランスを崩さないよう細心の注意を払い、自然と共生しながら山を守っていかなければなりません。
私は、『山を守ることは、地球を守ることであり、人類の未来を守ること』だと考えています。
そのことを一人でも多くの人が共有し、それぞれの立場で行動していくことが大切ではないでしょうか。」
むらかみ「山は私たちに多くの恵みを与えてくれる一方で、その恩恵は決して当たり前のものではないことを、あらためて考えさせられます。山を守ることは、自然を守ることだけではなく、そこで暮らす人々の文化や未来、そして私たち自身の暮らしを守ることにもつながっているのですね。」

むらかみ「最後に、2026年の国際山の日シンポジウムinみやぎに向けて、視聴者の皆さんにメッセージをお願いします。」
ケシャブ「山は、この地球に多様な自然環境を育み、人類が多様な暮らしを営むための基盤をつくってきました。私たちは皆、その恩恵を受けて生きています。
ぜひ、山に少しでも関心を持ち、山と関わってみてください。それは登山をすることだけではありません。山の自然や文化、そこに暮らす人々のことを知ることも、大切な関わり方の一つです。
『国際山の日』が、その第一歩となるきっかけになれば、これほど嬉しいことはありません。」
むらかみ「ありがとうございました。今回のお話を通して、山は自然だけではなく、水や食、文化、そして私たちの暮らしそのものを支える存在であることを、あらためて学ぶことができました。
『国際山の日2026シンポジウム in みやぎ』では、ケシャブ先生をはじめ、さまざまな分野の専門家が、それぞれの視点から生物多様性をテーマに語ります。
山に関わる方はもちろん、これまで山との接点が少なかった方にも、新たな気づきや学びにつながる機会となるはずです。ぜひ、多くの皆さまのご参加をお待ちしております。」

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