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山の日からのお知らせ

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INFO

溝口常俊(2023)『生き延びるための地理学 ――東日本大震災 被災地で考えたこと』風媒社

2023.10.13

全国山の日協議会

古川不可知(文化人類学・ヒマラヤ地域研究)

 九州大学講師、当会科学委員会オブザーバーの古川不可知さんが、『生き延びるための地理学 ――東日本大震災 被災地で考えたこと』の書評を書いてくださいました。

はじめに

 未曾有の大災害であった2011年3月11日の東日本大震災は、いまも私たちの記憶に深く焼き付いている。マグニチュード9.0の揺れ、およびそれによって引き起こされた津波と火災は東北各県を中心に甚大な被害をもたらした。平穏な日々が続くことを漠然と想像しながら暮らしていた私たちにとって、それはまさに「想定外」の出来事であった。
 地理学を専門とする著者は、発災から3か月後の2011年6月より被災地の巡検を開始し、現在まで6回にわたり三陸地方の各地をめぐって聞き取りや資料収集を重ねてきた。その過程では、こうした大災害を専門家が「想定外」で済ませてよいのだろうかという気持ちも強まっていったという。本書はそうした巡検の記録であるとともに、その成果を踏まえた防災計画「やどかりプラン」を提案する一冊である。

本書の構成と内容

はじめに
 第1章 「想定外」で考えをやめてはいけない 【仙台から石巻へ 2011年6月】
 第2章 これまでにない復興プランが求められている 【南三陸から田老、そして南相馬へ 2011年11月】
 第3章 過去帳は語る 【寺詣で学んだこと 2012年11月】
 第4章 積み重なった津波の記憶をひもとく 【八戸から仙台まで 2015年3月】
 第5章 被災地は、いま 【大船渡から仙台まで 2018年6月・2022年10月】
 付章1 太平洋沿岸の飢饉・津波被災地巡検
 付章2 「やどかりプラン」の勧め

 全体は日記の体裁をとって記述されており、地理学という言葉から予想される堅苦しさはその軽妙な文体によって裏切られるだろう。心をえぐる被災地の状況が詳述される一方で、現地の様子は悲劇一辺倒で語られるのではなく、復興の記録や観光情報などが雑談も交えつつ記述されてゆく。同時に随所には津波被害の差についての分析や、震災を経て変わりゆく景観の考察など学術な解説もそれとなく差しはさまれ、読者は地理学の知見にもしっかり触れることができる。また過去帳の閲覧のためにアポイントメントを取りながら寺院をめぐる様子など、赤裸々に描き出されたフィールドワークの裏側は、調査を専門とする者にとっても興味深いものだろう。
 筆者はそうした巡検のなかで、各地で必ずしも高台への避難が徹底されなかったことを知り、また老人など退避に困難を抱える人々の話を聞くことで、発想の転換が必要だと考える。そうして提案されるのが、ある種の個人用シェルターを各戸へ設置する「やどかりプラン」である。筆者は次のように言う。「水が恐くて高いところに逃げるという発想で、過去千年の間、津波対策がなされてきた。しかし、それがダメだった現実がある。だったら、水の中に潜ってやればいいのではという発想の転換である。やどかりは、波が来ると、その前に素早く砂浜の中にもぐっていくではないか」(p49)。またこのプランは、長大な防潮堤を作るのに比べるとコストも低く、景観への負担も少ないことを筆者は利点として挙げている。

不確実な時代を「生き延びる」ために

 ここで個人的な経験を述べさせていただくならば、2015年ネパール大地震の発生時に評者はネパールの山間部に滞在中であり、何もできない自分にもどかしさを感じながら揺れのなかを村の人々とともに過ごしていた。発災から少し経って国内外から届くようになった支援物資や復興計画の数々は有用であったものの、タイミングを逸した物資も多く、なかには山村に欧米基準の耐震住宅を建設するプランなど首をかしげたくなるものもあった。現場を考慮せず一律に降りてくる防災計画に苛立ちを感じ、現地で見聞きした知識と経験に基づいてより良いプランをなんとか提案したいという筆者の切迫感には、評者は強い共感を覚える。
 ただし正直に言うと評者自身は、本書に登場する多くの人々と同様に、「やどかりプラン」の有効性については疑わしさを感じないわけではない。たとえ一日と言われようと、密閉されて水の中に沈むというのは閉所恐怖症でなくとも恐ろしい。津波が迫っているときにカプセルを信頼し、落ち着いてその中に入るという選択をすることは、少なくとも評者には難しいように思える。だがたとえそのまま採用はできなくとも、大災害で既存の防災計画が機能せずに「想定外」として折り合いをつけざるを得なかった以上、まったく別な観点から物事を考え直そうとする試みを一蹴してはならないだろう。いま必要とされているのは、人々が様々な立場から臆せず意見を述べ、より災害に強い未来の芽をつぶすことなく育ててゆくことではないだろうか。
 本書は直接的には山岳に関わるものではない。だが地震の減災は常に山岳地帯の大きな課題であった。加えて昨今は気候変動による「想定外」の危機が大きく取りざたされる時代であり、それはとりわけ山岳地帯において、たとえば氷河湖の決壊といった形で表面化しやすい。まず現地の声に耳を傾け、既存の想定にとらわれないアイデアをみんなで考えることの重要性は、山岳地帯でもそれ以外の地域でもますます高まってゆくだろう。本書は不確実性の高まる時代を「生き延びる」ための、思考と態度のレッスンでもある。

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