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山の日レポート

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通信員レポート

立山信仰の世界へようこそ!【連載2】「万葉集」にみる古代の立山

2025.09.26

全国山の日協議会

富山市呉羽山から見た立山連峰

 みなさん、こんにちは。富山県[立山博物館]館長の高野です。

 富山県富山市の呉羽山は、立山連峰を一望できる特等席で、多くの県民が訪れる人気スポットです。奈良時代、人びとはこの美しい立山の風景をどのように捉えていたのでしょうか?その手がかりが「万葉集」という歌集にのこされています。

(1)「万葉集」と立山

 越中国(現在の富山県)の国府(国の役所)は、陸と川、海上交通の結節点に位置した、現在の伏木古国府(富山県高岡市)の国宝・勝興寺(しょうこうじ)一帯にあったとされています。天平18年(746)6月、大伴家持(おおとものやかもち)は29歳の若さで越中国守(現在の富山県知事)に任命され、7月に赴任しました。
 立山の名称がはじめて登場する資料は「万葉集」です。「万葉集」は奈良時代末期に成立したとみられる日本最古の和歌集で、全20巻からなり、4500首あまりの歌が収められています。家持は「万葉集」第一部(巻1~巻16)を編纂したとされています。

越中国守・大伴家持像(高岡市二上山)

国宝・勝興寺本堂(高岡市伏木)

雨晴海岸の女岩と立山連峰(高岡市太田)

 奈良時代、越中国府の政庁は、伏木台地上の勝興寺の場所にあったとされ、ここから立山連峰を望むことができます。家持は、その雄大な景観に驚いたのでしょうか。赴任した翌年(天平19年)の4月27日、一年間の政務を報告するために上京するのに先立ち、「立山賦」(たちやまのふ)と題する長歌をつくりました。「立山賦」は31句からなる長大な歌で「越中には山がたくさんあるが、なかでも立山は別格」、「すめ神が領有していらっしゃる立山」、「立山を観たことがない人びとに、こんな立派な山があるのだと語りつぎたい」などと歌い、立山を絶賛しているのです。

 そして長歌のあとには、反歌といって短い歌を1~2首そえるのが当時のならわしでした。家持の反歌のひとつに、次の一首があります。

 多知夜麻尓 布里於家流由伎乎 登己奈都尓 見礼等母安可受 加武賀良奈良之 (原文 万葉仮名)

 立山に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神かむからならし (読み下し文)
 立山に降り置いている雪は、夏のいま見ていても見あきることがない。神の山だからに違いない。(現代語訳、高岡市万葉歴史館編『越中万葉百科』(2007 年)より)

 そして家持の部下であった大伴池主(おおとものいけぬし)は、翌日の4月28日に「敬和立山賦」(つつしんで立山賦にお答えする歌)と題し、家持をしのぐ37句からなる秀麗な長歌をよみました。「朝日さし 背向(そがひ)に見ゆる 神ながら 御名に帯ばせる・・・」とはじめに歌い、「朝日をうけて(逆光のなかに)背を見せる立山」、「神々しく神の山を御名としておもちの立山」と賛美しています。
 
 これらの歌は「万葉集」巻 17(4000~4005) に収められていて、立山のみならず北アルプス最古の文学作品でもあります。

(2)「タチヤマ」から「タテヤマ」へ

 家持は、重要な情報を後世に残してくれました。現在は立山を「タテヤマ」と呼んでいますが、奈良時代には「タチヤマ」と呼んでいた、それが「万葉集」から分かるのです。

 では、いつ頃、「タチヤマ」から「タテヤマ」へと呼び名が変わったのでしょうか?

 元富山県立図書館長の廣瀬誠氏(故人)は、「室町時代の堯恵(ぎょうえ)という僧侶が書いた「北国紀行」「善光寺紀行」などの文章にはタテヤマとはっきりと書かれている。それ以前の平安時代や鎌倉時代の文献ではタチヤマと書かれているので、おそらく室町時代にタテヤマと呼ぶようになったのではないか」と推定しておられます。

(3)「万葉集」にみる古代の立山信仰

 タチヤマの呼称については、天にむかってそびえ立ちたる山の意とも、太刀(タチ)のような鋭い形状から名付けられたともいわれます。民俗学者の柳田國男氏は、古語で神の現れることを「タツ」と言い、タチヤマとは「顕ち(タチ)山」、つまり神の顕れる山の意であるとの説を唱えました。家持は「すめ神(その国を守護する神)が領有している立山」と歌い、池主も「神の御名をおもちの立山」と歌っており、両者は共通して立山を神の山としています。ここに古代の立山信仰の一端を見ることができるでしょう。

 古代の山岳信仰とは、高山を神の座、あるいは神そのものとして信仰することであり、神の山は禁足地であり、あくまで遠くから拝む、遙拝信仰(ようはいしんこう)であったと考えられています。万葉集にみる、奈良時代の立山も、そのような遙拝信仰の山です。また「朝日さし」と池主の歌にあるように、山岳信仰と太陽信仰との関わりも垣間見えるでしょう。遠くから立山連峰を望むとき、日本人が感じるものは、昔も今も変わらないのかもしれません。

 次回は、平安時代の立山へタイムスリップしてみたいと思います。引き続き、連載にお付き合いいただければ幸いです。

◎富山県西部の沿岸では、晴れた日に富山湾とともに3000m級の立山連峰を同時に望むことができます。この絶景は「海越しの立山連峰」と呼ばれています。富山にお越しの際は、ぜひその目で実景をご覧ください!

海越しの立山連峰(氷見市沿岸部)

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