
山の日レポート
通信員レポート
ネパール・中国で発生した大規模土石流災害 現地レポート 8
2026.10.29
2026年10月14日
マハラジャン、ケシャブ・ラル
地域農林経済学会副会長
ネパール政府が公式に「救命を目的とした救助活動は、これから復旧・再建活動に移行する」と発表して以来、仮設支援センターの役割は、この壊滅的な災害で影響を受けた人々の生活をスムーズに移行させる上で非常に重要になっています。政府の広報担当者によると、救援活動の焦点は研究所での法医学的身元確認やリハビリに移っている一方で、失踪者の捜索は依然として続き、特にラスワの水力発電所のトンネルでの緊急捜索・救助活動の一環として行われています。どうやら、水力発電所では約800人がまだ行方不明になっているようです。現時点の報告によると、被害を受けた事業は約4,800件に上り、その中には1,259件のホテル・レストラン、1,212件の卸売・小売業、866件の教育機関、そして約15,000軒の住宅(推計では19,000軒との報道もある)が含まれています。13の水力発電所と5つの太陽光発電所、合計で759МW分の発電施設が被害を受けました。物的資産への直接的な被害は16億6,000万ドルと推定され、その83%がインフラに関わるものです。復旧と再建には合計で48億ドル(約7,500億ネパールルピー)が必要でとされています。世界銀行は、10月6日火曜日に発表した『ネパール開発アップデート』で、成長予測を引き下げ、今年度の成長率を4月に発表された4.2%から3.7%に下方修正し、2027-28年度には5.2%に回復すると予測しています。
教育省は10月9日木曜日に独自の数字を発表しました:32校で9,400人の生徒が影響を受け、3,928人が直接的な影響を受け、1,373人が避難、488人が行方不明、5人が死亡と確認されています。約24人の教師や学校職員も行方不明で、1人が死亡しました。調査された527教室のうち、268教室が破壊されました。ユニセフの報告によると、ラスワ、ヌワコット、ダディン、ゴルカ、タナフンの各地区で約22,100人の子どもたちが影響を受けています。全国子ども権利評議会によると、30の仮設支援センターに1,233人の子どもがいて、内訳は女の子632人、男の子601人で、そのうち21人が障害を持っています。家族と離れて暮らしている子どもは439人、両親を亡くした子どもは102人です。
ネパールの仮設支援センターは、日本で一般的に「避難所」と呼ばれる緊急シェルターとは少し違うようです。仮設支援センターとは、災害で避難したりして居場所を失った人たちが一時的に滞在する場所のことです。公立学校の建物や敷地、コミュニティホール、道場などスポーツ施設、政府の建物、寺院や宗教施設、一時的な緊急シェルター、その他政府が一時滞在用に公式に指定した場所などが含まれます。中には、寺院や私立学校が自主的に運営している施設や、善意の個人が管理している仮設支援センターもあります。災害の影響を受けた人々は、それぞれの必要に応じてそこに滞在し、長期間滞在する人もいます。
国立災害リスク削減・管理当局によると、ラズワ・ボテコシ洪水:捜索・救助・救援対応に関する状況報告第7号(2026年9月7日)では、37か所の仮設支援センターがありました(後に政府広報担当者は38か所と発表、一部のメディアでは39か所と報道)。そのうち、ヌワコットには約2,700人が収容される25か所、ラズワには733人のための10か所、ダディンには197人のための2か所があります。ただし、この報告書ではカトマンズの仮設支援センターについては触れられていません。これが、各情報源で報告されている避難センターの数に違いが出る理由の一つかもしれません。
政府は、仮設支援センターの人々に基本的な食料を提供し、独り立ちして稼ぎ始め、社会に再統合する人々に対しては家賃補助も出すとしています。以前の報道によれば、多くの人々がこの補助を利用して社会に戻ったため、10月初旬現在で避難センターの数は17か所に減っています。時間が経つにつれて、さらに多くの人が仮設支援センターを離れることで、この数はさらに減っていく可能性があります。
これには、亡くなった魂を鎮めるための死者の儀式を行う必要も考慮されていると思われます。ほとんどの人は死後45日目に、チベット仏教徒は49日目に(遺体が見つかっていない場合は仮に死亡とみなして)この儀式を行います。政府は、これらの儀式を行うために、一人の亡くなった人の家族に20万ネパールルピーを支給し、さらに追加の人数ごとに10万ルピーを支給するとしています。多くの人は、これらの儀式を行うために故郷や同胞がいる地域へ戻る必要があります。中には、儀式を簡略化して費用を抑え、残りのお金で新しい生活を始めようとする人もいるかもしれません。10月7日水曜日、閣僚会議は大統領に対し、災害で行方不明の人を法的に死亡と宣言するまでの待機期間を12年から約45日に短縮する条例を発出することを勧告しました。この条例はとても意味のあるものになるでしょう。というのも、現在6,000人以上が行方不明で、死亡が確認されているのはわずか1,500人ほどで、そのうち家族に遺体が返されたのはほんの数百人だからです。ですので、この条例によって葬儀に必要なお金を得やすくなり、被災した何千もの家族が回復し、生活を立て直す手助けになるでしょう。
また、約280家族が一時的な住宅を政府に要請して、ホールディングセンターを出たいと考えているそうです。政府は、行き場のない被災者のために、中国からプレハブ型のカプセル住宅を輸入することを検討しているようです。ある情報筋によると、こうしたカプセル住宅は30万から50万ネパールルピーかかるとのことです。収容所を出る人々を助けるサポートは、被災者のリハビリと社会復帰の支援にもつながりますし、常に感謝されることでしょう。
上述した報告によると、カトマンズの仮設支援センターは政府によって公式には把握されていないかもしれないというのは驚きです。でも、スワヤンブのいくつかのチベット仏教の寺院で仮設支援センターのバナーを見かけて、立ち寄り、運営している人たちと簡単にお話ししました。そこで、現在カトマンズには、ボテコシ川の西側のアマチョディンゴ行政村と東側のゴサイクンダ行政村の被災者がいる仮設支援センターが5か所、スワヤンブ寺院の近辺に3か所、ボウッダ寺院の近辺に2か所あることが分かりました。これらは、同じ村のボランティアによって運営されている私設のセンターで、彼ら自身も災害の影響を受けていました。以下は、これらの仮設支援センターのうち2か所のボランティアと交わした会話の簡単な記録です。

図1:ヌブリ・コミュニティ僧院ホールディングセンター
この僧院は、ゴルカ郡のツーム・ヌブリ渓谷に沿ったマナスル地域のヌブリ渓谷出身の人々によって建てられました(この報告を書いている間にも、この地域のブディ・ガンダキ川でラサワ・トリスリ川の洪水と似た壊滅的な洪水が発生しました)。この僧院は地域の文化活動、青年たちの活動、社会的な集まりに利用されており、カトマンズに滞在するその地域の学生や若者のための宿泊施設やホームステイも提供しています。この僧院はチベット仏教の四大宗派の中で最も古いニンマ派に属します。ニンマ派は8世紀にグル・リンポチェによって創設され、ネワール仏教徒やインド亜大陸の一般の人々にはグル・パドマサンバヴァとして知られています。僧院の管理を担当している人もゴルカ出身で、災害で救助・避難された被災者が、アマチョディンモ行政村から軍のヘリコプターで救出された後、彼らの社会的ネットワークを通じて受け入れられました。彼らはゴルジュン、ガトラン、そしてハク、ネシン、チリメのような村から来ています。彼らによると、ラズワの被災者が滞在しているホールディングセンターは12~15か所ある(またはあった)そうで、そのうち5か所はカトマンズに、残りはヌワコットやラズワにあります。これらのホールディングセンターは政府等の支援なしで運営され、被災者自身によって自主的に管理されています。このホールディングセンターには、日中は主に女性や子どもを中心に200人以上が滞在しています。彼らは食事をしたり、互いの話をしたり、祈ったりして慰め合っています。夜になると約60~70人がカーペットの上で雑魚寝します。衛生や感染病の心配もあるため、多くの人は夜は親戚・知人のところで過ごします。当初は内務大臣が訪問し、トラック1台分の救援物資が届きましたが、その後は政府から救援物資や連絡はありません。人々の食事や福利厚生のための費用は、同僧院の基金や、僧院の支援者を含む地元の信心深い人々、その他の社会団体からの寄付で賄われています。いくつかの団体は、被災者をカトマンズ盆地の観光地に観光旅行に連れて行きます。
私がこの仮説支援センターを訪れた日、約100人が2台のバスに分かれて、世界遺産の一つであるバクタプルへ観光に連れて行かれていました。話をした人たちは皆、少なくとも一人、場合によっては二人や三人の家族が洪水で流されてしまったと言っていました。ガッテ・コーラのような村は完全に流されてしまったそうです。
今は軍のヘリコプターサービスも止まり、警察が支えている川を渡るためのトゥインロープも限られていて、道も途切れているので、村に行くことができず、家や残っている人たちの状況も全く分からない状況です。寒い季節が近づくにつれて、とても不安に思っているようです。メディアは、アマチョディングモ行政村の多くの地域で、残された人々の中には基本食料(米、豆類、食用油、塩)がなくなりつつあると報じています。被災者全員がダサイン祭までに支援されるという政府の発表について、人々は懐疑的です。というのも、この行政村への道を使えるようにするための修復作業だけでも少なくとも6か月はかかるとみんなが思っているからです。

図2:ヌブリ・コミュニティ僧院ホールディングセンター管理者受付所
ボランティアたちは、被災した村で18~45歳のほぼ全ての働き盛りの男性が亡くなり、中には目の前で流されてしまった人もいて、本当に悲しいと話しています。助ける手立てはまったくなかったようで、今生きていることが幸運だと感じているそうです。洪水時に村の一つの寺院で宗教行事に参加していた約65人は救われたのは奇跡であり、悲しい話ばかりの中での唯一の明るいニュースです。彼らは政府が住居の家賃補助や葬儀の補償を出すという噂を聞いていますが、政府からはまだ公式に連絡してきていないようです。だから、ホールディングセンターに滞在している人たちに、他の場所を探して僧院を出る準備を始めるようにと言っているようです。また、この補助金は6か月間しか続かないという噂もあり、それが本当のことなら、その後人々はどうするのでしょうか。特に年配の人たちは行くところがなく、ボランティアたちはとても心配しています。そして、今のところ本ホールディングセンターには役人が情報を集めに来ていないので、政府に正式に記録されているのかどうかも疑問に思っています。政府の救助活動自体は早かったものの、その後の対応は非常に遅いと言っています。これは以前の政府と似ています。いずれにせよ、僧院の資金が尽き、通常の僧院活動にスペースが必要になるため、このホールディングセンターは遅かれ早かれ閉鎖されることになります。それは(認識上の)死後49日目は転機になるかもしれません。私たちは皆、前に進む必要があります。ボランティアたちのこの言葉には希望がありました。
ちなみに、彼らによると、近頃はアマチョディンゴ行政村のような遠隔村に住むことには多くの利点があるそうです。投資が次々に入り、地元経済が活気づいているので、多くの人が簡単に仕事に就き、良い賃金を稼ぐことができるそうです。また、水力発電所では建設時に地元住民に会社の株を5~10%渡す義務があるため、それも利益になるようです。これらの会社の株価は株式市場で非常に早く上昇し、大きな利益を得られ、思いがけない収入が入り、多くのビジネスを始めることができるそうです。国境沿いの村に住む人々も、交易やその他の生計のための許可を得ることで、チベットのケルンで1年間生活することができるそうです。こうした理由から、最近ではネパール中から多くの人々がこの村に法的な住所を移していて、地元の登録事務所・仲介業者に高額の非公式料金を支払うことさえあるようです。

図3:ヌブリ・コミュニティ僧院ホールディングセンターにいる被災者
地域の経済的な飛躍は、確かに嬉しい驚きです。ネパールの山岳地域では、人口の75%以上が主食の自給ができていません。人々は食べ物を得るため、またお金を稼ぐために地域外に出稼ぎに行かなければなりません。ラスワ郡はそのような地区のひとつで、バグマティ州の中でも最も発展していない地域です。1999年にネパールの山岳地域の食料安全保障を理解するためのフィールドワーク中、私はガトラン村にいて、人々が食べ物がない時にどのように日々を過ごしていたかを聞きました。村人たちは、家から山に登って野生の植物や動物を探すと話してくれました。暖かい日差しが彼らに力を与えるとそうです。しかし、食べ物が見つからないこともあり、そのときはうたた寝をして命の危険を冒すこともあったとそうです。眠ってしまうと、ハゲワシが襲って食べられてしまうようです。目を覚まして空腹と戦うために、彼らは歌い、太鼓を叩き、その他の伝統音楽を演奏しました。地域に経済の活力が戻り、人々がこの災害を乗り越えて、より良く再建し、もう二度と必要に迫られて野生の食べ物を狩ることがないようになればいいなと思います。
これはカトマンズに住むムスタン地域の人々によって建てられたコミュニティ兼宗教センターです。名前が示す通り、ムスタンのバラガウンの人々が、この場所をコミュニティの集まりや宗教の集会に使っています。このホールディングセンターは、洪水救助の2日目から被災者自身によって組織され、ティムレ、ゴサイクンダ村のボランティアによっても管理されています。この僧院はチベット仏教のサキャ派に属しており、タマン族とガレ族の160世帯、計250名の被災者が共に暮らしていて、夜は親戚や友人の家で過ごす人もいます。ティムレ出身の約120人の学童たちが、以前カトマンズで勉強していた子たちやティムレから避難してきた子たちも含め、週末に家族や知人に会うためにここにやってくるようです。これらの子どもたちの多くは親や保護者を失っており、今後誰が学費を払ってくれるのか、誰が世話をしてくれるのかを心配しているようです。彼らの親はティムレ地域で働いていて、子どもたちはカトマンズの寄宿学校に預けられていたようです。
ネパールのプルバンチャル大学で社会開発学を学び、修士号を取り、このホールディングセンターを管理しており、自身も家族を2人失ったというあるボランティアによれば、被災者たちはソーシャルネットワークを通じてこの僧院にやって来たそうです。最初はティムレから救助された約60人の被災者がこのこのホールディングセンターに集まってきたようです。その後、さらに多くの被災者がやってきて、今では施設は満員です。彼によれば、ティムレだけで148人が洪水で流されました。洪水の状況や流され方を考えると行方不明としてリストに載っている人らは生存していないだろうとのことです。
彼は、「洪水後の最初の数日間に、内務大臣が一度訪れ、救援物資がトラック一台分届きました。役人たちも被災者の情報を収集するために収容センターに来ました。その後、計画委員会のオフィスを通じて一人あたり15,000ネパールルピーの救済基金が届き、世界食糧計画からは一人あたり45,000ネパールルピー相当の食糧支援がありました。その後、政府の対応は遅くなり、それ以降は連絡がありませんでした。今は、ライオンズクラブや他の社会団体、そして寛大な個人からの寄付でこのホールディングセンターを運営しています。飲料水と衣服はそれぞれの製造会社がスポンサーになっています」と言っていました。どうやらこのホールディングセンターは公的に認識されているようです。

図4:ムスタン・バラガウン・ロチョドゥン・シェワ・サンガ(ムスタンゴンパ)ホールディングセンター
彼はさらに、「ここにいる人たちは、みんな少なくとも一人は、この壊滅的な洪水で流されてしまった家族がいます。表面上は落ち着いているように見えますが、内心ではとても悲しんでいて、災害のトラウマを抱えています。ボランティアを含めて、怒りを表現する場所がありません。カウンセラーが定期的に訪れて、喪失による心の苦しみを抱える人たちと話をします。でも、多くの年配の女性たちは難しい心理学の用語を理解できず、「癒し」という言葉の意味さえつかめません。むしろ、被災者たちは、祈りの時間や、個人的な悲しみを共有できる民族の集まり、あるいは毎週行われるリンポチェの講話を聞く宗教イベントの場では、落ち着いているようです。外部の人々もリンポチェ (転生した高位の僧侶)の講話を聞きに来ます。こうした訪問者たちは、定期的に僧院に寄付をし、その一部がホールディングセンターの運営にも使われています」と説明してくれました。
彼によると、被害者たちは、ヒマラヤの地域で行われる1日限りの死の浄化儀式「ギャバ」を行うと、より安心しているように見えます。故人の写真を燃やすことで、魂が平和に旅立ったと感じるようです。ボランティアたちも、被災者たちに尽くすことである程度満足感を得ているようです。彼によれば、被災で亡くなったあるいは亡くなったと認定され遺族らにも受け止められた後の49日まで、多分みんながホールディングセンターに滞在するだろうけど、その後どうなるかは全くわからないそうです。彼自身も被災者であり、他の被被災者の喪失感や不安に強く心を痛めていて、ホールディングセンターの管理役を自発的に引き受けたことで思いやりのある熱意を示しています。
ある意味で、彼に深い尊敬の念を抱きつつ、忙しい時間を割いて話をしてくれたことにたいして申し訳ない気持ちでいっぱいで深く感謝しています。亡くなった方々の魂が安らかに眠り、被災者たちができるだけ早く社会に復帰し、人生で成功できることを願っています。

図5:ムスタン・バラガウン・ロチョドゥン・シェワ・サンガ(ムスタンゴンパ)ホールディングセンターの夕食の時間
RELATED
関連記事など