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四国遍路 ― 1200年を歩く 第2話 弘法大師と四国遍路の起源
2026.10.28

札所で見られたのぼりや立て看板
2014年(平成26)、四国八十八ヶ所の札所霊場では「四国八十八ヶ所霊場 開創1200年」と書かれたのぼりや、立て看板がたてられ、また香川県善通寺市の総本山善通寺では平穏と発展を願う大規模な記念大法要、各札所では普段は公開していない秘仏や宝物の特別公開、各札所の納経所では期間限定の記念スタンプの押印や記念御影の授与が行われるなど、盛大に開創1200年を祝う催しが行われていました。

札所で見られたのぼりや立て看板
余談ですが、実は私もこの開創1200年の時にバスツアーで四国遍路を巡っていました。高野山も入れて全15回、すべて日帰りです。
これがその時の納経帳で、通常は右上から左下に朱印3ヶ所(寺番、本尊種字、寺院印)と縦書きに墨書3行(奉納、本尊名、寺院名)ですが、この時はこれらに加えて左上に「開創1200年」と刻まれた色印を押してくれました。

開創1200年の時の納経帳
話を戻して、この時、「開創1200年」とは「いつからカウントして?」なのかという素朴な疑問が浮かんできて、ある札所のご住職に聞いたところ、ご住職は「弘法大師が42歳の厄年の歳(815年(弘仁6))に四国を修行の地と定め、霊場を開創したと云われている」と答えていただいたことを思い出しました。
その時はあまり気にとめなかったのですが、後になってよくよく考えてみると弘法大師の歴史には四国遍路を開創したという記事はあまり書かれておらず、「本当なのか?」という疑問がありました。だから「云われている」、つまり伝説として伝わっているという事になるのではないだろうか。
でも、火のないところに煙は立たないという諺もあるように、なにか「四国遍路の開創」と「弘法大師空海」とのつながりがあるのだろうと色々な書物を読んでいると、弘法大師空海24歳の時(797年(延暦16))に儒教、道教、仏教の優劣を解いた『聾瞽指帰(ろうこしいき)』一巻を書いたというのを知りました。
※この『聾瞽指帰』はのちに『三教指帰(さんごうしいき)』と改題している。

『三教指帰』の一節
この「三教指帰」の中に、「阿国大瀧嶽」とあり、そこに攀じ登ったとある。また「土州室戸崎」とあり、そこで読経・修行したとあります。
「阿国」とはどこか、阿波国、今の徳島県、「大瀧嶽」は漢字から第21番札所となっている「太龍寺」と考えられています。
太龍寺は正式名称、「舎心山常住院太龍寺」といい、「西の高野」とも称され、四国山脈の東南端、標高618mの太龍寺山の山頂近くにあり、樹齢数百年の老杉が天空にそびえ、古刹の霊気が漂うお寺です。
縁起によると793年(延暦12)、桓武天皇の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ、諸尊を造像して安置し、開創したとあります。
今、この太龍寺から南西600mの「捨身嶽」という岩上に、弘法大師の銅像が安置されています。
おそらくこの太龍寺山に攀じ登って、山中で修行をしたものと思われます。
では、どのような修行だったのでしょうか。
それは「虚空蔵求聞持法」を修行していたと云われています。
「虚空蔵求聞持法」とは、虚空蔵菩薩の真言(オン・バザラ・アラタンノウ・オン・タラク・ソワカ)を100万回唱えるもので、1日1万回を100日続けることで、記憶力や知恵を高めることを目的とした真言密教の荒行です。

次に「土州室戸崎」とはどこか、土佐国、今の高知県、「室戸崎」は漢字から室戸岬と考えられています。
この「室戸岬」の先端には、弘法大師が修行したと云われている「御厨人窟」と「神明窟」の2つの洞(洞窟)があります。

室戸岬 御厨人窟
「御厨人窟」(向かって左側)は「厨」の字が使われていることから、主に居住・食事の場として、「神明窟」(向かって右側)が主に修行の場と云われており、ここで虚空蔵求聞持法などの修行の最中に虚空蔵菩薩の化身である明星(明けの明星=金星)が口に飛び込み、悟りが開けた、つまり虚空蔵求聞持法を感得したと云われています。
そして、これらの窟から望む「空」と「海」に感銘を受けて、「空海」の法名を得たと云われています。
今は御厨人窟前に国道55号線が通っていますが、当時は窟前に空と太平洋が広がっていたことを想像すると、外界からの影響を受けず、ただ一心に修行していた空海の姿が浮かんできます。
この御厨人窟のすぐ上には第24番札所「最御崎寺」があります。

室戸岬 御厨人窟からみえる「空」と「海」
最御崎寺は正式名称、「室戸山明星院最御崎寺」といい、土佐最初の霊場で、眼前には太平洋が一望でき、時には白浪が荒れる室戸岬の先端にあります。
縁起によると807年(大同2)に虚空蔵求聞持法を感得したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩を彫像して本堂を建立したと云われています。
以上のように、『三教指帰』に記述のある場所、つまり弘法大師空海の修行の地が四国八十八ヶ所札所霊場の一つとなっていることから、四国遍路の起源ということで「開創1200年」となっているのではないかと考えられます。
次回
弘法大師の修行がどのように変化していったのでしょうか。
第3話では、「辺地修行」とは何かを解説します。
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