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山の日レポート

山の日レポート

山の日を知ろう

萩原浩司氏が語る「山の日」制定の歴史    1.運動のスタート

2021.05.30

全国山の日協議会

1961年に「山の日」の新聞記事

国民の祝日「山の日」が制定されたのは2014(平成26)年5月23日、施行されたのは2016(平成28)年1月1日のことである。8月11日が国民の祝日「山の日」となってから5年目を迎えようとする今「山の日」が制定されるようになった経緯についてあらためて紹介してみたい。

「山の日をつくろう」という呼びかけが初めてメディアに登場したのは、調べ得る限りでは1961(昭和36)年のことだった。7月27日の読売新聞の社会面に、「”山の日”を制定しよう」との見出しが大きく載った。記事の内容は「夏の立山大集会」という山岳イベントの閉会式を紹介したもので、富山市内の会場に集まった多くのリーダー候補者を前に、東京代表が次のように述べたとある。

「わが国は全土にわたって脊梁山脈が走る山国であるのに”山の日”がない。山岳人の心を結集して山を愛し安全登山を目指した”山の日”を制定しよう」

この提唱は満場一致で決議され、主催者側も「あらゆる組織を通じて”山の日”制定に努力する呼びかけのお手伝いをしたい」と答えた。しかしその後、制定に向けて具体的な行動があったのかどうか定かではない。ただ、1956年の日本人マナスル初登頂後の登山ブームのさなか、今から約60年も前に「山の日をつくろう」という呼びかけがあったことだけは記憶にとどめておいていただきたい。

その後、名称は異なるが「登山の日」が1992(平成4)年に提唱された。これは日本山岳ガイド協会の前身である日本アルパイン・ガイド協会が呼びかけたもので、10(と)と3(さん)の語呂あわせで10月3日を登山の日と定めたものだ。10月初旬といえば紅葉のハイシーズン。天候も比較的安定し、登山には絶好の時期でもある。同協会は10月3日から11日までの9日間を「登山週間」として、人気山岳での集中登山や三ツ峠でのガイド祭り、都内で登山奨励のイベントを開催するなど、さまざまな企画を立案し、実践した。しかし「登山の日」は国民の間に広く定着するには至らなかったようだ。それはガイド協会単独の企画であるため社会からの認知が得られなかったことと、10月3日がかならずしも休日に当たるわけでもなく、記念イベントを開催しても人が集まりにくいといった問題があったからかもしれない。

国連提唱の「山岳年」と国際「山の日」

2002(平成14)年は、国連の総会で定められた国際山岳年であった。FAO(国連食糧農業機関)が推進役となり、世界各地で山を考えるイベントが開催された。

日本でも登山団体の代表者と山岳に関わる有識者、学者たちが国際山岳年日本委員会を組織し、山にまつわるさまざまな活動を展開した。なかでも7月に静岡県富士宮市で開催された「富士山エコ・フォーラム」には1200人が集結。環境問題をテーマにした講演会や研究発表があり、富士山麓から国の内外に向けて山の大切さと保護の緊急性を訴えた。

ここで提案されたのが「山の日」の制定である。フォーラムで発信されたメッセージには、山の自然を守り、山に生きる人々の生活文化を尊重することなどが盛り込まれ、そうした思いを新たにするために日本に「山の日」を作ろう、と呼びかけたのであった。

2002年以降、委員会の活動は「YAMA NET JAPAN」に引き継がれたが、「山の日」制定に向けた活発な動きはその後、見られなかった。しかし国際山岳年から10年後の2012年6月には、「国際山岳年プラス10シンポジウム、みんなで山を考えよう」が催されて「山の日」を強くアピール。国民の祝日化に向けた運動を後押しすることができた。

また、国際山岳年のさまざまな活動を受けて、2003年の国連総会で国際的な「山の日」がつくられた。「持続可能な山岳地域の発展の重要性」への関心を喚起するために、12月11日を「国際山の日(国際山岳デー)」としたのである。しかしその後、積極的な広報・普及活動が得られなかったこともあり、日本国民の間では、今もなおその存在を知らない人が多いのではないかと思う。

日本山岳会「山の日」制定プロジェクト始動

「山の日」の制定に向けて本格的な取り組みが見られたのは2009(平成21)年のことであった。日本山岳会が「山の日」制定プロジェクトを立ち上げたのである。

きっかけは、日本山岳会の会報『山』1月号での宮下秀樹会長の提言にあった。会長に就任して2年目の年頭、宮下会長は「山の日」の制定運動を提案し、会員各位の理解と協力を求めたのである。

提言の趣旨は、すでにいくつかの県で始まっている地域単位の「山の日」を全国に広め、その日を中心に「山」「山岳」をテーマにした多種多様なイベントを企画・推進させようという内容であった。そして「健康的かつ文化的な催しを通じて山に親しみ、山を尊び、敬う気風を育てる。山岳への関心を高め、美しい自然を後世に残そうとするのが目的です」と、「山の日」制定運動の狙いをわかりやすく説明している。

この流れを受けて同年5月、新しく会長に就任した尾上昇会長が動いた。「山の日」づくりを重要課題として引き継ぎ、「山の日」制定のためのプロジェクトチームを組織したのである。新会長の号令のもと、成川隆顕プロジェクトリーダー以下8人のメンバーが集められ、組織として「山の日」を作るための取り組みが始まった。

プロジェクトチームはまず、外部に向けた決意表明を行なうことにした。2009年9月、東京・市ヶ谷にある日本山岳会本部にマスコミ各社を集めて記者発表会を開いたのであった。席上で、尾上会長は「日本山岳会は‟山の日”の制定に向けて、まずは山と親しみ、楽しみ、山から学び、山の自然を守り育てるプロジェクトを展開する。ついては他の山岳団体を始め、環境省や文部科学省、自治体などに働きかけて運動を広めてゆく」ことを宣言。新聞各紙が会見の内容を報道した。日本山岳会は、これを機に「山の日」制定運動を進めることを内外に示し、退路を断ったのである。

山岳5団体が「山の日」制定協議会を発足

プロジェクトチームは、結成当初から「山の日」の制定は一山岳会だけで進められるものではないと強く認識していた。日本の山岳団体が結束し、心をひとつにして運動を推進させなければならない。そこで記者発表後、各山岳団体の幹部に対して「山の日」制定に向けてともに協力し合おうと呼びかけた。こうして日本山岳協会(現在の日本山岳・スポーツクライミング協会)、日本勤労者山岳連盟、日本山岳ガイド協会、日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト(HAT-J)との話し合いの結果、2010(平成22)年4月、山岳5団体による「山の日」制定協議会が発足。以後、「山の日」制定運動は5団体の協働作業によって進められていくことになる。
それぞれの団体から選任された委員たちが持ち回りで会場を設定して集まり、熱い議論を交わしながら「山の日」制定に向けて活動を始めた。
「山の日」制定協議会としての具体的な動きとしては、まず、国民への啓発活動として「山の日」の趣旨を説明したリーフレットを製作することにした。ただし、単なるアピール文を掲載しただけでは手にとってもらうことは難しい。そこで「山を考える」というタイトルを付け、A4三つ折りの用紙に山に関するクイズを載せて編集した。
「日本に山はいくつあるの?」「日本で2番目に高い山の名前は?」といった身近な設問で一般の人々の興味を引き、回答には山の知識を盛り込んだ解説文を掲載する。そして読み進めていくと、最後に「山の日」への理解・協力を求める文章が出てくるといった体裁である。協議会メンバーには元新聞記者や出版社経営、山岳雑誌編集者など、マスコミ関係者が複数、名を連ねていたこともあり、リーフレットの編集作業は迅速かつスムーズに進められた。
そして「山の日」制定に向けたメッセージ文についても慎重に言葉が選ばれ、メンバー全員の了解を得て世の中に発信されることになったのである。

萩原浩司(山の日アンバサダー)

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