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通信員レポート
ミスター富士山手記【運命の生涯登山】 3壮年時代
2025.11.06
文・写真提供 實川欣伸さん
大学は出席数が足りず1年留年し26歳で卒業。30歳で結婚した。長女が2歳ぐらいの頃、一緒に山に登りたくて、丹沢の大倉尾根に行った。元気よく登る子供とは相反し、住宅営業の仕事に追われて運動不足だった私がバテてしまい登頂は断念。情けない思い出だ。
自分の生き方は“嫌いなことはやらなかった”ということに尽きる。自分の好きなことだけをやって生きてきた。人生、できないことを一生懸命やるのも立派な生き方だと思うが、自分は、嫌なこと、やる必要がないと思ったことは、パッとやめて手を抜いてしまう。そして好きなことだけをやって生きてきた。大工だった親父と何度か一緒に家を建てたことも有り、物づくりが好きだったが、仕事が単調になると諦めが早く、多くの職に就いた。

ナショナル住宅時代
大学卒業後3社目の就職先だった松下グループ(当時)のナショナル住宅(現パナソニックホーム)の代理店では、経験を活かし現場監督を希望したが「君は営業が向いているからやってみろ」と言われた。とてもその気がなかったが、子供が産まれるから三カ月だけはやってみようと決めた。しかし、やる気がないから売れないこと甚だしい。八月のお盆を機に辞めようと思っていた矢先、「すみません、これください」とお客が飛び込んできた。私「お客様、土地は何坪お持ちですか」と聞くと、わからないと言う。「この家は広くないと建ちませんよ」「では、家に来て調べてください」と言われ現地へ行くと、30坪程しかない。すると「ここに建てれる図面を引いてみてください」と言うのでささっと書いて「これなら入りますよ」と手渡した。すると「これはいくらで・・・」私「1000万位でできますよ」「じゃあ、それでやってください」・・話がとんとん拍子で決まり怖いくらいだった。お客様は、当時横浜で由緒あるバンドホテルのチーフコックの方だった。家の完成後の住宅見学会では、ビールや美味しそうなおつまみを作って出してくれた。すると同行のお客様が信頼関係に驚き、「任せます!」とまた成約となった。それからはどんどん面白いように商談が決まっていく。最低でも月一軒売ってトップセールスマンになり、工務店の業績が急伸。当時ナショナル住宅の山下茂男社長が直接表彰するという。松下は凄い会社だった。大阪で行われた全国表彰式はホテル貸切りで、浴衣や帯や雪駄には松下のマークが入った特別製、宴会は畠山みどりショーで幕開け、京都中の舞妓さんが集まったらしい。重役にお酌されながらこの世の春を楽しんだ。
この代理店時代、自分の考えたイメージで、洋画で観たような二階への階段のある空間が広がる家を建てる事ができて感激した。
しかし世の中、そうそう良いことは続かない。世間によくある嫁と姑の関係で、私達家族は、横浜から静岡の沼津に引越すことになった。

撮り歩いた富士山①
35歳で移住した直後の仕事は、機械の修理・部品の製作等の営業で、関連の企業知識を覚える事に追われる毎日。山の多い静岡県に越してきたというのに、登山や近隣山塊状況を知る余裕もなかった。ただ子供の頃からカメラが好きだったので、身近に見える富士山を写そうと思い、車を走らせ、伊豆箱根、愛鷹、富士五湖を回り、朝焼けや夕焼け、吊るし雲や雪景色などの写真を撮っていた。

撮り歩いた富士山②
富士山撮影のおかげで、静岡近隣の自然を把握し、3人に増え成長した子供達や、会社の仲間の家族と箱根の金時山、神山に登るようになり、山との関わりが増えてきた。子供達と時には飼っていた犬も一緒に、愛鷹山系、沼津アルプスによく登った。天気が良ければ、箱根連山、伊豆半島、駿河湾、それに富士山が眼前に聳えて見える。飽きることのない贅沢な景色だ。沼津アルプスの徳倉山は、冬でも天気が良ければ防風林に囲まれていて、昼寝ができるほど暖かく夕方まで寝過ごしたこともあった。

子供達と飼ってた犬との登山(愛鷹山系)

子供達との登山(丹沢)
家族全員で旅行にもよく出掛けた。中でも思い出深いのは、長女が小6の夏休み、能登島を起点にキャンプをしながら日本海側を車で南下したこと。若狭湾リアス式海岸~鳥取大山の枡水高原~“余部鉄橋列車転落事故現場”で鉄橋の下を見上げて通過し見た情景は、今でも目に焼き付いている。その後、関門海峡を通過し阿蘇中岳へ。火口の噴煙をバックに撮った写真は、後に学校の父母会で凄いと話題になった。最終日は久住高原や別府温泉地獄巡りをし、復路は、門司から約900kmを一日で直帰。子供達もよくついてきたと思う。

家族キャンプ旅行(枡水高原)
1985年8月15日、42歳の時、家族5人全員で1泊2日で富士山に登った。 記念すべき第一回目の登頂である。富士宮口5合目から登り、8合目の池田館に泊まり、翌朝登頂。天気が良く、馬の背から写した写真に朝の影富士が写っていた。眼下には雲海が見え、神様になったような気分だった。この時の富士登山は、多くの人と同じように、一生に一度だけのつもりで登り、次は伊豆や箱根の全山を登ろうなどとしか思っていなかった。

家族での富士山初登頂の山頂にて①

家族での富士山初登頂の山頂にて②
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