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山の日レポート

山の日レポート

山の日インタビュー

降籏義道 信州白馬山麓から世界に羽ばたく (第七回)

2025.12.01

全国山の日協議会

今回は、我が国の山岳ガイドの組織化とそれに関与した降籏さんの話になります。
インタビューアーは、引き続き当協議会科学委員の鹿野委員です。



山岳ガイドの系譜

―― 「ここからは、日本の山岳ガイドの組織化と、そこで降籏さんがやってきたことについて話してもらうことにしま
  すが、もともと日本では、昔からあった地域ごとの山案内人の組合と、主に都市に住んでいたクライマーたちが
  プロ化した山岳ガイドの組織と、2系統あったということですね。」

降籏 「そうなんです。で、このへんの案内人やその組合については初めのほうでも話したけど、長野だけでなく、岐阜
  や富山なんかでは、山麓の村で農業や猟師をやってたような人が、山案内人を副業でやってて、なかには山小屋を
  経営したりする人もいた。富山なんかでは、平蔵谷とか長次郎谷とか、劔での地名に残るような人もいたしね。
   組合としては、地域の山の登山道の整備や、事故があったときの遭難救助なんかもしてた。そういう案内人や
  その組合は北アルプスを取り囲むように、富山県の立山山麓、芦峅寺や岐阜県の飛騨地方。そして長野県側は、
  白馬山麓や安曇野の山際の地域に案内人組織が明治後半頃にできてきた。」

―― 「ただ、そういう組合の地域を超えた組織や地域を超えたつながりはなかったんですか」

降籏 「そうね。俺は岐阜や富山の人たちとは、個人的には多少の交流はあったし、山の事故が多くなってからは警察
  なんかとの関係もあって、三県合同の遭難対策会議を毎年行うようになった。顔見知りとなり、情報交換も簡単に
  できるようになり、横のつながりが出来上がっていった」 

黎明期の山案内人(白馬村)

PDF:立山ガイド100周年記念誌


日本アルパインガイド協会を中心に

―― 「一方で、おそらく1970年代の初めごろからですか、都市の有力な山岳会で実力をつけたクライマーの一部が
  プロとして山岳ガイドを名乗り、技術の講習会をしたり、お客さんを山へ連れてゆくようになり日本アルパイン
  ガイド協会をつくった。でも、その二つの流れの交流もあまりなかった。」

降籏 「はい。で、俺なんかは、もともとは地域の案内人の系統っていうか、あるいは遭難救助隊なんかで鍛えられた
  ほうなんだけど、いろんな山岳会のトップクラスのクライマーとも親しくなった関係で、同じように山でガイドを
  やってるんだから、組織としても一つになったほうがいいんじゃないかって思うようになった。
   フランス、アヌシー市と白馬村で『国際冒険とスポーツ映画祭』を隔年で開催していて、アヌシーに行ったと
  き、白馬村長をアヌシーに在ったフランススキー連盟の本部に案内した。地方都市に本部があることに感激した
  村長から帰国後、国際的につながる団体の本部を白馬に持ってこれないかと相談を受けた。」

―― 「なるほど。で、そのプロセスをもう少し具体的に言うと・・・」

降籏 そんな時、以前から親しかった長谷川恒男君が泊まりに来た。彼は当時、日本アルパインガイド協会の理事長を
  していた。酒の勢いで昔からある案内人と都会のプロガイドが一つの組織になろうと盛り上がった。
   そんな折、スイスのツェルマットでマッターホルン登頂125年祭があり、私は招待されて行った処、たまたま国
  際山岳ガイド連盟総会が開催されており、知人のツェルマット観光局長のおかげでオブザーバーとして出席するこ
  とができ、毎年春秋2回開かれる連盟の総会にオブザーバーとして出席していれば、連盟加盟の道が開けると会長に
  言われた。それは国際山岳ガイドになれる道であった。
    帰国後すぐに長谷川恒男に、彼の協会をまとめてほしいと電話を入れた。私は富山の剣沢小屋ご主人、佐伯友邦
  さんや穂高小屋のご主人、今田英雄さんに電話を入れ、立山や飛騨のガイドたちをまとめてほしいとお願いした。
  そのとき分かったのだが、伝統ある両地区の山案内人組織は消滅していた、しかし、お二人や飛騨の島田靖さん
  ら、私の山仲間の尽力で短期間に組織を再編してくれた。
   そして、スイスから帰国して4か月後、白馬で日本山岳ガイド連盟総会開催にこぎつけた。初代会長は白馬村長に
  お願いした。」

―― 「なるほど。で、国際山岳ガイド連盟への流れは・・・」

降籏 「ガイド連盟を設立したものの当初は運営資金も少なく、国際連盟総会への出席は毎回自費でした。翌年の7月、
   アイガー北壁の初登攀者であるアンドレ・ヘックマイヤー夫妻が、国際連盟から派遣され日本の視察調査にきた。
  日本滞在中はうちに泊まって、私があっちこっちの山に案内した。2日目の夕食時、奥さんのツルディが『主人
  と私を、ファーストネームで呼んでほしい』と言うんです。『あなたのご主人は私にとって神様みたいな方だから
  それはできない』と伝えたのですが、ツルディは『あなたもあなたのおじい様も山岳ガイドでしょ。同じガイド
  仲間としてそうしてほしい』と言ってくれて。それで二人をアンドレ、ツルディと呼ぶようになったんです。
   ヘックマイヤーをファーストネームで呼んだ日本人は他にいないと思う。二人は私に対して本当によくしてく
  れた。総会の度に、日本に帰る前にドイツの家に寄るように誘ってくれた。
  ドイツ語しか話さないアンドレに対して、バイリンガルのツルディはアンドレの通訳も兼ねていた。国際連盟の
  総会前には開催国の歓迎パーティが開かれるんですが、会場に入っていくとツルディが大きな声で『ヨシミチ!』
  と呼び、自分達のいるテーブルに座らせてくれるんです。その席はアンドレをはじめ、各国のレジェンドたちや
  奥さんもいるわけです。その席には会長も遠慮して座りません。そこでツルディは『ヨシミチは日本が加盟できる
  ように頑張っているから応援して欲しい』と私を紹介してくれるんです。それも毎回の歓迎パーティです。」

アイガー北壁とアンドレ・ヘックマイヤー

国際ガイド連盟に加盟

―― 「そうだったんだ。で、国際連盟への参加承認のほうは?」

降籏 「総会に出席して3年目、1991年、秋の総会の半月ほど前に加盟国会長全員から日本の加盟が承認されたという
  ファックスが会長のレオ・カミナーダ゙から届いた。私は有頂天になった。でもその数日後、長谷川恒男がウルタ
  ルⅡ峰で遭難したニュースが飛び込んできた。これはショックだった。国際連盟に加盟できたら、私が務めていた
  日本のガイド連盟の理事長を彼に継いでもらうつもりでいたから。
   その後、この91年の総会で私は日本人として初めて国際山岳ガイドのバッチをレオ会長より胸につけてもらっ
  た。会場にはアンドレとツルディもいて、彼らと目あった時思わず私の目から涙がこぼれた。二人も涙を浮かべて
  喜んでくれた。

授与された国際山岳ガイドのピン バッチ



―― 「感激的な話だね。設立した日本山岳ガイド連盟のその後は」

降籏 「設立した翌年、白馬に諸問題があり、友人の今井通子さんにお願いして本部を東京に移した。国際連盟に加盟
  できた2年後、日本の会長を橋本龍太郎さんになってもらった。副会長は今井通子さんと私、理事長は磯野剛太君
  になった。そして連盟を社団法人にするべく活動を始めた。当時、加盟団体であった日本アルパインガイド協会
  は、橋本龍太郎会長のもと社団法人になっていた。それを拡大して連盟を社団法人にしようと考えた。 総務省と
  の折衝の末、名前を変えて環境省認可の社団法人日本山岳ガイド協会となった。
   その後、橋本会長が不慮の病で亡くなり、会長を谷垣禎一さんにお願いした。そしてまた国の指導のもと、
  公益社団法人日本山岳ガイド協会となった。
   今の公益社団法人日本山岳ガイド協会は会員数2172名、年間総予算1億1000万円を越えた。ガイド資格は自然、
  登山、山岳ガイド、スキーガイド、クライミング・インストラクターのセクションがある。 その頂点に立つ国際
  山岳ガイドは39名だ。
   現在、私と今井通子さんは副会長を引き、協会の特別顧問として協力している。」

谷垣 日本山岳ガイド協会会長

国際山岳ガイド連盟と日本山岳ガイド協会

国際山岳ガイド連盟
 1965年、スイスのツェルマットにおいてイタリア、スイス、フランスとオーストリアの山岳ガイド協会代表者の会議
が開かれ設立され、1966年、最初の規約が制定された。
  公益社団法人日本山岳ガイド協会は国際山岳ガイド連盟に加盟しており、国際山岳ガイドを認定できる日本での唯一
の機関である。
■国際山岳ガイド連盟の目的
 ・ 山岳ガイドの責任について国家機関との関係強化。
 ・ 山岳ガイドの位置付けの統一化。
 ・ 国際ライセンスカードの発行を通じ、それを所持する山岳ガイドの業務円滑化。
 ・ 山岳ガイドの養成方法の統一化。
 ・ メンバー国と第三者間、あるいはメンバー国同士の争議の相談機構。
 ・ 職業人としての山岳ガイドに影響を与える一般社会および経済的な事柄の学習。
 ・ 世界中の山岳ガイドとの親密な友情と情報交換の促進。

日本山岳ガイド協会
  日本を代表する登山家によって、国内では初めてのプロフェッショナルな山岳ガイドの団体として1971年4月に誕
 生した。
  設立以来一貫して、自然保護活動をはじめとした正しい登山技術の普及や登山知識の指導、山岳遭難防止活動、山岳
レスキュー技術の普及といった公益性のある活動を最大の責務と考え実践している。
  また、フランス国立登山スキー学校との技術協定を結び、ガイドの質の向上を図っており、今期より一般登山者向け
のセルフレスキュー講習などを充実させ、安全登山の普及活動を行いる。初級者向け「登山の安全管理」、グループ
リーダーや中級以上の登山者向けのセルフレスキュー技術を基礎から学べる講習会など、レベルを問わず学べる機会を
提供している。

国際山岳ガイド連盟と日本山岳ガイド協会のlogo mark



日本山岳ガイド協会特別顧問

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