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山の日レポート

山の日レポート

山の日インタビュー

降籏義道 信州白馬山麓から世界に羽ばたく (第六回)

2025.11.01

全国山の日協議会

 前回に続いて、フランスのアヌシーと白馬村が隔年で開催した「映画・映像祭」についての話になります。
聞き手は、山の日協議会科学委員会 鹿野委員です。



映画・映像祭について

―― 「実は僕(鹿野)は、その映画・映像祭に審査員として2回参加したんです。
  1回目は第4回、1989年の白馬村としては2回目のとき」

降籏 「俺はもちろん実行委員だったんだけど、審査委員会については、直接は関わってなかったから、当日、鹿野
  さんが審査員で来てるんでびっくりした。」

'89年(白馬村開催)のパンフレット

―― 「会場が白馬のときは、審査委員長はずっと映像記録代表の牛山純一さんだったでしょう。牛山さんは日本の
  テレビ界では、ドキュメンタリーのディレクター、プロデューサーとしては第一人者だったわけだけど、僕は
  名古屋鉄道が中心になって作ったリトルワールドっていう博物館の展示の責任者をやっていて、その展示に映像
  記録制作の「素晴らしい世界旅行」っていう民族誌ドキュメンタリー番組の映像を組み込んで使ったんです。
   牛山さんにはそのとき随分お世話になったっていう縁なんだけど、金沢大に移って5年目かな、夏休みの前位
  に突然、牛山さんから連絡が来て、その映画祭の審査員をやれって。で、僕のほうは、白馬村はよく牛山さんを
  引っ張り出したなって感心した。これは本気だなって。だからすぐ引き受けました。」

リトルワールド(犬山市)

降籏  「牛山さんお願いしたのも扇田さんのはずです。そういうのは、やっぱり村の人間にはなかなか・・・」

――  「牛山さんのほうでも、東京みたいな大都市や、県庁所在地くらいの町ならいくらでも映像祭はあるけれど、
   白馬みたいな地方の村が本格的な国際映像祭をやるのは珍しい。これは本気でつきあわなくてはって思った
   そうです。」

降籏  「あ、そう言ってもらってたんだ。それはうれしいな!」

――  「僕も、自分にはまず縁がないだろうなって思ってた、東急ホテルに泊めてもらって。でも、一日中映像を
   見て、そのあと審査員の意見交換を2,3時間やる。審査員の半分はヨーロッパやオーストラリアから来てる
   から、議論は全部英語でやる。けっこうたいへんではあった。」

降籏  「で、2回目は?」

――  「翌1990年の第5回のアヌシーのとき。これも夏休みのちょっと前に映像記録から連絡が来て、10日間くらい
   フランスへ行けないかって。手続きは白馬のほうでやるから、とにかくパスポートだけもって何日何時に成田空
   港へ来いって。その映像祭に合わせて白馬からは観光ツアーが出るんで、それに合流する。扇田さんとは、4回
   目のときはあった記憶がないんだけど、そのとき機内でゆっくり話をした。当時はアラスカのアンカレッジ経由
   でジュネーブまで、結構かかったけど、ジュネーブからアヌシーまではバスで1時間ちょっとかな。いつ国境を
   越えたのかわからない。
    僕は外国といえば南アジアばっかりで、ヨーロッパのことはほとんど知らなかったから、ここではフランス
   からスイスへ通勤したり、スイスからフランスへ買い物に行ったりするのはあたりまえなんだよって言われて、
   ああそうかって初めて実感した。」

フランス アヌシー’90年開催のパンフレット

降籏  「アヌシーっていい街でしょ。人口は10万くらいだけど、綺麗な湖のほとりで、古い町並みがよく残ってて」

―― 「いい経験をさせてもらいました。このときも、審査員には、僕のほか、オーストラリア人がいたから、審査
  委員会の議論は英語っていうことになってたけど、熱が入るとフランス語でしゃべりだす人がいて、事務局の英語
  が良くできる人が通訳してくれるんだけど、それがなかなか追いつかなくて、ちょっと苦労した記憶があります。
  でも2回を通じていろんな映像を見させてもらって、楽しかったし、ほんとに勉強にもなった。」

降籏  「そういってもらうと、こっちもうれしいな」

スイスとの国境の町アヌシー

PDF:アヌシー地図


アヌシーから望むアルプス

アヌシーの街並み

――  「で、あれは結局何回やったんですか」

降籏  「10回くらいかな。オリンピックも終わって、白馬のほうもちょっと息切れしてきたし、アヌシーも継続が
   難しくなってきたらしくて」

――  「そうでしょうね。でももったいないよね。当時の資料をちょっと調べたら、第4回には18か国から、第5回
   には11か国から、どちらも50本以上の作品が参加している。」

降籏  「そうだったんだ。まあ、村の国際化っていう意味では、それなりに貢献できたっておもっています。」  

夏の白馬村(空撮)



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