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山の日レポート

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通信員レポート

岐阜県の山へようこそ(その3):岐阜県山岳をめぐる課題―「飛山濃水」を越えて

2026.05.15

全国山の日協議会

岐阜県大垣市在住の『岐阜百秀山』の著者 清水克宏さんのレポートです

 岐阜県の山の魅力とそのポテンシャルを、北部の飛騨地方と南部の美濃地方の2回に分けてご紹介してきました。岐阜県の山岳はポテンシャルが高いのですが、そのことは反面「個性や魅力が十分に登山者や観光客に伝わっていない」ということでもあり、岐阜県の岳人としてはもどかしさを感じます。その3では、そんな岐阜県の山岳をめぐる課題を掘り下げ、より多くの登山者や観光客の皆さまに訪れていただき、山里のにぎわいを取り戻すにはどうしたらいいかを考えていきたいと思います。

岐阜県の山はどうして認知度が低いのか

 岐阜県は、森林率が81%と日本第2位で、日本の3千m峰21山のうち9山が位置し、県歌に「岐阜は木の国、山の国」と歌われる日本有数の山岳県です。しかし、「木曽の御嶽山」が「飛騨の御嶽山」でもあり、「加賀の白山」への信仰の道のうち、加賀、越前は明治に廃絶したにもかかわらず、美濃と飛騨の山々を繋いで白山に至る「白山美濃禅定道」だけが、平安時代から現在まで途絶えることなく守られていることなどは、あまり知られていません。どうして、岐阜県の山はこのように認知度が低いのでしょうか。

画像:(左)神仏習合の面影を残す白山美濃禅定道の起点美濃馬場のたたずまい (右)霊峰白山に続く美濃禅定道の山々

 その原因のひとつには、県南端部の濃尾平野周辺に人口が集中しているため、岐阜県の誇る代表的な山々を日常目にする機会が少なく、県民の多くに日本有数の山岳県だという認識はなく、山に関する情報発信が活発とはいえないことがあります。
 もう一つの原因として、他都道府県の方はお聞きになったことがないでしょうが、「飛山濃水」という主に岐阜県の行政で使われる用語にも課題があるのではないかと思います。この用語は、明治9年(1876)に、旧美濃国の岐阜県と筑摩県の旧飛騨国が合併して岐阜県が成立して以降にできたもので、飛騨は山岳地帯、美濃は濃尾平野を中心とした水郷地帯であることを対照的に表したものとされ、飛騨地方は治山が、美濃地方は治水が最大の課題であったことから、特に行政の場で多く使用されました。治山・治水の問題は、長い努力によって解決されて、しかし、この言葉はあまり使われなくなったのですが、近年になって環境や自然に注目が集まりだすと、再び行政などにおいて、岐阜県の自然の豊かさを象徴する言葉として使用されることが多くなっています。この言葉は、あくまで県内からの視点に立っており、日本全体から見た場合、美濃地方だけで日本百名山2山を含め日本三百名山が7山もあり、美濃の山岳も十分に誇れるものです。
 飛騨にも美しい渓谷や滝があり、美濃にも佳(よ)き山が数多くあり、そして、飛騨地方だけでなく、美濃地方も山村の活性化が課題となっています。美濃と飛騨がタイアップして、美しい山そして清らかな水をPRしないのはもったいないのではないでしょうか。全国の山約千山を巡ってきた実感として、「飛山濃水」は、岐阜県の内側だけで通用する、県の魅力の取りこぼしが多い、たいへん残念な言葉だと感じます。

「飛山濃水」を越えて

 岐阜県は山も平野も自然が豊かで、その山野を繋ぎ、渓流が清流となって流れます。この風土を一体としてブランディングできないものでしょうか。他の都道府県の先行例として、山形県では「やまがた山」、山梨県では「山梨百名山」など、県レベルで山に関する情報ポータルサイトを持ち、ブランディングする取り組みがなされています。山の良いところは、一つの山を訪れればまた別の山も制覇したくなるので、リピーターが期待できることです。岐阜県の場合、そこに、「水」という魅力を付け加えることもできます。岐阜県でも、市町村単位では、地域おこしとして、山県(やまがた)市では「ぎふ山県市名山めぐり」、関市では「関市登山スタンプラリー」といった取り組みが始まっています。これら各市町村の取り組みを県全体のポータルサイトでつなげ、ブランディングできると、国内外の観光客や登山者をより多く引き付け、リピーターを増やすことができるはずです。まずは、実際に飛騨の山だけでなく美濃の山に目を向けて、その魅力を実際に味わっていただければと思います。 

画像:織田信長の岐阜城の置かれた金華山から、長良川そして飛騨の山々を眺める

雨乞い伝説の夜叉ヶ池にみる課題

 豪雪地帯である越美山地の山々は、岳人に「奥美濃の山」と呼ばれ、地元だけでなく今西錦司氏など京都の岳人にも愛されてきたエリアです。美濃地方の山に関する課題として、この奥美濃の山に徳山ダムができたことや、過疎化により人口空白地帯が生じ、登山者や山岳観光客を引きつけるポテンシャルがありながら、受け入れの態勢がとれなくなっている地域が出てきていることがあります。ここでは夜叉ヶ池を例にご紹介します。
 夜叉ヶ池は、三周ヶ岳と夜叉ヶ池山の鞍部、標高約1,000mにある池で、流れ込む川もないのに、伏流水で、いつも美しい水をたたえていることで知られます。池には雨乞いのための生贄として郡司安八太夫の娘・夜叉姫が龍神に嫁いだとの伝説があり、泉鏡花が『夜叉ヶ池』という作品に翻案し、さらに、坂東玉三郎主演の映画や舞台にされたことから全国的にも知られ、「岐阜県の名水50選」と「飛騨・美濃紅葉33選 」に選定されています。夜叉ヶ池へのアクセスは、滋賀県と岐阜県をつなぐ国道303号線から池ノ又林道に入り、終点の登山口から、徒歩で約90分です。北陸自動車道の木之元I.C.から登山口まで約37㎞・50分と近いことから、関西方面の登山者にも親しまれている美濃地方の山のひとつで、特にニッコウキスゲや紅葉のシーズンには多くの登山者・観光客を集めていました。しかし、令和5年(2023年)以降、池之又林道の災害による通行止めが長期間続いており、工事着手の予定はあるとされるものの、復旧の見込みは不明の現状です。そのため、福井県南越前町の岩谷林道からの登山道がもっぱら使われるようになって、「福井県の山」の印象が強まりつつあります。

画像:夜叉ヶ池山からみる夜叉ヶ池

 夜叉ヶ池が位置する現揖斐川町は、平成17年(2005年)に旧揖斐川町(面積46.1㎢、人口約18,300人)と、谷汲村・久瀬村・春日村・坂内村・藤橋村(5村合わせて 面積757.4㎢、人口約7,900人)が合併してできました。そのうち藤橋村は、徳山ダム建設に伴い廃村となった徳山村を併合していたため、当時は全国一人口密度の低い市町村でした。この合併により町の面積は17.4倍になったにもかかわらず、山間部を中心に人口減少が続いています(平成12年・27,453人→同17年・26,192人→令和2年・19,529人)。揖斐川町は、日本百名山の伊吹山、日本三百名山の能郷白山・冠山、そして夜叉ヶ池、徳山ダムなど日本全国に通用する山岳観光地を擁しながら、これらを活かす取り組みはみられません。そのことは、冠山トンネルの福井県側と岐阜県側とを訪れ、比較していただくと明らかでしょう。その背景に、揖斐川町については、住民のほとんどが旧揖斐川町に生まれ育っているので、市街地から45㎞あまり離れた夜叉ヶ池や、60㎞あまり離れた冠山を訪れたこともなく、自らのふるさととは感じにくく、その魅力も知られていない実情があると考えられます。

図:新旧揖斐川町エリアと山岳

 東海地方と北陸地方を通年結ぶ国道417号線が全線開通し、中部地方や、関西・北陸地方の観光客や登山客の流入が期待できる環境ができたにもかかわらず、税収も人的資源も限られ、ふるさと意識も持ちにくい揖斐川町だけに、魅力創出・発信を一任するのには限界があるのも実情かと思います。岐阜県、あるいは大垣市など西美濃地方の官民が広域で支援を図りながら、夜叉ヶ池へのアプローチ道路の早期復旧をはじめ、奥美濃の自然に親しめる環境づくりがされることを願ってやみません。

岐阜県の山へどうぞお越しください

 8月11日に開催される記念すべき第10回全国山の日岐阜県大会をきっかけに、岐阜県にお越しいただく皆さまも多いことでしょう。その折には、飛騨山脈を訪れたり、それがかなわなくても高山市街から車で10分程度の、アルプス展望公園「スカイパーク」や、松倉城址などに立ったりしていただけば、飛騨の山の魅力を十分実感していただけるはずです。
 そして、その往き帰りにでも、岐阜市に立ち寄っていただき、ロープウェイでも山上に立つことができる金華山で、美濃そして飛騨の地を見晴るかしていただければ、山も野も、そして水も美しい岐阜の地を「再発見」していただけると思います。

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