
山の日レポート
山の日インタビュー
静岡市消防局職員で伝説のトレイルランナー望月将悟 ふるさと井川でその自然と文化、自らのキャリアを語る(2)
2026.09.21
鹿野 「今、南アルプスユネスコエコパークの井川ビジターセンター、ここはかつて井川小学校の校舎だけど、それが再利用されてミュージアムになっているところに来ています」
望月 「このミュージアムの管理人は実は私のおやじなんですけど,水曜日は定休日で、ミュージアムの中は今日は見てもらえないんです。申し訳ありません」
鹿野 「それは仕方ないよね。で、南アルプスユネスコエコパークって、どんものなんですか」
望月 「もともと豊かな自然の生態系と、それを利用する持続可能な経済活動を維持、推進するというのが理念で、南アルプスのほぼ全域が対象になってます。具体的には静岡、山梨、長野3県の10の自治体が加盟していて、それぞれにいろんな施設があり、行事もやっています。ユネスコに登録が認められたのは2014年、井川のこのセンターができたのは去年、2025年7月だから、できてまだ1年足らずですね。ほんとは自治体単位だけでなく、複数の自治体が連携して何かやれるといいですよね〜、今はまだですがいずれは。でもここでも、若い人たちを主な対象として地域の伝承を伝えるとか、体験型のイベントなんかをできないかな、と考えたりもします。今ならまだ地域の方々は元気で意欲的な方たちがたくさんおられるので、私もいろいろ教わりたいな~。時間がたてばそれもむつかしくなるのは寂しすぎます」

エコパークミュージアム望月さんのお父さん(取材日翌日撮影)
鹿野 「そうだよね。でも国連の2002年の国際山岳年では、共通のスローガンが「我ら皆、山の民」だった。山岳地域の自然環境が劣化することだけでなく、そこに暮らす人々の生活、文化が失われることへの危機感も、そのスローガンには込められていた。それ以降、国連では食料農業機構(FAO)がその理念を引き継いできたわけだけど、ユネスコも国連の組織だから、共通する意識があるんだろうな」
望月 「そういえば、私が呼んでいただいた去年12月の全国山の日協議会の国際山の日2025の集会でもそういう趣旨のことを言っておられましたね。(注1)
それがこことつながっていることが確認できて、僕もうれしいです」
鹿野 「そういう意味で、井川の住民の方たちが維持してきた文化とか、それを次の世代に伝えてゆく活動なんかについて、もう少し具体的にうかがえればと思うんだけど、どなたか適当な方はいらっしゃるかしら」
望月 「それだったら、今日、おやじは不在ですけど、おふくろ(仁美さん)も井川地区の出身で、今はこの地区の在来の野菜を絶やさないようにする活動を熱心にやってます。喜んで話をすると思いますから、どうぞ」
(注1)「国際山の日」2025シンポジウム(2025年12月6日開催)。望月氏は故郷・南アルプス井川の自然や風景、先人たちの暮らしの知恵を紹介し、自然を「感じる」ことの大切さと、山とともに生きることの厳しさや楽しさについて語った。

鹿野 「このお宅は、築何年ぐらい経ってるんでしょうね」
仁美 「さあ、どのくらいかしら。百年以上なのはたしかね。材木なんかも全部ここのものなんじゃないかしら」
鹿野 「お母さまも、井川のご出身なんですか」
仁美 「ええ、集落は違いますけど」
鹿野 「じゃ、ずっとここで過ごしてこられた?」
仁美 「いえ、一度は外に出たんですよ。主人の勤めた会社の勤務の関係で、東京や千葉のほうに、かなり長くいたんです。でも、やっぱり自然の豊かなところがいいってことで、早期退職して戻りました。まあぜいたくを言わなければ、ここにもそれなりに仕事はありましたから」
鹿野 「で、お子さんたちは井川で育ったわけですね」
仁美 「そう、男の子3人、みんなここで、中学を出るまではね。将悟は次男になります」

むらかみ 「さっきちょっとうかがったんですが、井川には昔から伝わってきた地区独特の農作物が、いろいろあるんだそうですね」
仁美 「ええ、ここは、見てこられたと思うけど、田んぼはほとんどないでしょう。だから昔は雑穀類、つまりヒエとかアワとかモロコシとかソバなんか、それにマメ類やイモ類ね。それも1種類じゃなくていろんな品種のものが、それぞれに向いた土地に植えられていたんだと思うのよ。で、それを栽培する技術だけでなく、そういうものを少しでもおいしく食べられる加工、調理の工夫があって生活が成り立っていた」
鹿野 「焼き畑なんかもしておられたんですか」
仁美 「はい。焼き畑も盛んでした。雑穀類や、イモ、マメ類なんかは焼き畑が多かったんでしょうね。いっぽうでお茶やワサビ、ニンニク、トウガラシなんかも、それぞれに向いた場所で作っていたし。家の周りの畑では、いろんな野菜類ね。カブやナス、キュウリ、ネギなんかも。長い間にみんなほかの土地とは少し違う品種になってきたんです。
ここにいろんなもののサンプルがあるから、ちょっと見てください」

鹿野 「じゃ、家で採れるものだけで、ほとんど食材はそろう・・・」
仁美 「というか、家によってつくるのが得意なものがそれぞれあるから、お互い交換したりしてね。味噌や醤油、漬物なんかも含めて、地区の外から買う必要はほとんどなかった。でも逆に言えば、お茶を別にすれば、地区の外に売るほどの量は採れないから、自給自足っていえばちょっとオーバーだけど、農業はお金を稼ぐ産業にはならなかった」
むらかみ 「そういう在来の作物を商品化する試みはないんですか」
仁美 「ほんとはやりたいけれど、なかなかね。住民も相当高齢化してるから。でも品種が絶えたらおしまいだから、種を保存することだけは何とかやってます。で、いま外から移住してきた若い夫婦で、雑穀を使ったパンやクッキーの試作品を作ったりしてる方がいます。そこにあるのがそう。ちょっと食べてみて」
むらかみ 「これですね。あ、おいしい」

鹿野 「ところで僕は石川の白山麓で焼き畑をやっていた方に聞いたんだけど、そこでは、焼き畑は基本的には炭焼きとセットになっていたらしい。炭焼きってかなり高度な技術がいるんで、専門の職人さんみたいなものですよね。その炭焼きの方が、ナラやクヌギなんかの雑木林が適当なところまで育った森を持っている人のところへ行って、山を買うっていうんだけれど、実際にはその森を伐採して炭を焼く権利を買う。で、炭焼きが終わった後、山の所有者が、伐採跡地で数年間、焼き畑をする。一年目はアワとか、二年目はヒエとか、作物の植え付け順もだいたい決まっていて、長くても四年ぐらいたつとあとは放っておいて、20年ほどすると、また炭焼きに適当なくらいに雑木林が育ってくるんだって」
仁美 「そうそう、うちのひいじいさまは、炭焼きをしていたけど、やっぱりそんなものだったと聴いてます。炭は基本的には自分の家用に焼くわけじゃないから、たしかに現金収入を稼げる専門職業人ですよね」
鹿野 「山を持ってるほうは、20年に一度くらい炭焼きに山を売ることで臨時収入が入る。まあボーナスみたいなもんだ、一方で人生には娘を嫁に出すとか親父の葬式を出すとか、いろいろ金がかかることもあるから、そういうことも考えて山を管理するんだって聞いて、なるほど、そういうものなんだって納得した覚えがあります」
仁美 「そうね、ここいらでも昔はそうだったんじゃないかしら。私らの世代ではそこまでは考えなかったけど。
私たちの親の世代には、ほかにもいろんな伝統工芸っていうか、細工物なんかを作る方もいたし、いまでもお祭りや伝統芸能を伝えてる人がいる。なかなかむずかしいけれど、そういう技術や文化を少しでも若い人たちに伝えていかないとね」
(次回に続く)

語り手:山の日アンバサダー 望月将悟
「南アルプスをみんなに知ってもらい大使」「静岡市消防局職員」
聞き取り:2026年5月 静岡市井川地区
聞き手:鹿野勝彦、むらかみみちこ
構成・執筆:鹿野勝彦(全国山の日協議会 科学委員会副委員長)
写真撮影:むらかみみちこ(全国山の日協議会 科学委員会担当理事)
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