
山の日レポート
山の日インタビュー
「宙師(そらし)ラマ・ゲル・シェルパ 登山で培った技術で、いま信州の森を守る」2
2026.05.01
鹿野 「で、日本にはいつから住むようになったんですか」
ラマ・ゲル 「2005年からです。妻(真理子さん)と結婚して日本に住むことになりました。
妻と初めて会ったのは、2000年の年越しツアーとしてトレッキングに来ていた時です。私はその時のトレッキングスタッフの一人だったんです。
妻はその後、トレッキングなどを手配する会社で働き始め、そこが催行するヒマラヤのトレッキングツァーのガイドもしていました。その会社の社長さんは、鹿野さんたちとも一緒になんどもヒマラヤ登山に参加したかたで、ヨンデンさんとも親しかったから、そこのツァーも、現地の手配はヨンデンさんがしていた。ついでに言うと、その社長さんは、以前はこの山の日協議会にもかかわっておられたから、その縁で私もアンバサダーになったんです」

出会った当初2000.1 ラマ・ゲルさん提供
鹿野 「なるほど、僕たちとも実はいろんなつながりがあったんだ。で、来日した当初初はどこに住んで、どんな仕事をしていたんですか」
ラマ・ゲル 「来日したころは、神奈川県の相模原市で、妻の実家の近くのアパートに住んでいました。とりあえずは自動車関係の工場で働きながら、以前ネパールのトレッキングに来たことのある日本人のお客さんの依頼で日本国内のツアーガイドもしていました」
鹿野 「日本ではどんな山に行ったんですか」
ラマ・ゲル 「けっこういろんな山に行きました。北アルプスはほとんどの山に行ったし、南アルプス、富士山、それに八ヶ岳なんかにも行きました。これは最近のことですけれど、登山ガイドの育成学校の講習を受けて、いくつかの資格も取りました」

来日して間もないころの富士登山2007.8 ラマ・ゲルさん提供

奥穂2011.10 ラマ・ゲルさん提供
鹿野 「じゃあ、登山のガイドは今も続けているんだ」
ラマ・ゲル 「今は、たまに、ですけれど。本業になった林業関係の仕事が忙しくなりましたから。小さくても一応、株式会社(シェルパ林業)の社長ですから、やっぱりそちらを優先しないと」
鹿野 「それはそうだよね。でも、そこまでのプロセスは、けっこう大変だったはずだけれど。少しそのプロセスも聞かせてください」
ラマ・ゲル 「ご存じだと思いますけど、日本では登山のツァーのガイドだけでは、とても生活はできません。子供も生まれましたし。なんとか暮らしていけたのは、自動車関係の工場での仕事があったからです。ところが、例のリーマンショックの影響で、そこを解雇されてしまったんです。私たちみたいな立場は、そういうときは一番弱いじゃないですか。
それで,どうしようかって考えたんですけど、それならこの際思い切って独立して、自分が好きな自然にかかわる仕事をしようって思ったんです」
鹿野 「そうだったんだ。そういえば富山のダルマ・ラマさんも、同じころ務めていた木工場が倒産して、仕方なくアルバイトに行った農家で見込まれて、後継ぎになって、今は先進的な農業経営者になったわけだけど。よくピンチはチャンスでもあるとかいうけど、本当にそれができる人はなかなかいない」
ラマ・ゲル 「たしかに、そうかもしれませんね」
鹿野 「で、松本に来たのはいつですか。また松本を選んだのには、なにか理由があったのかしら」
ラマ・ゲル 「移住してきたのは2009年です。この地方には、登山のツァーのガイドとかでよく来ていて、いいところだなって思っていました。空気はきれいだし、やっぱり近くに山が見えるのもいいなって。
実は最初から林業を始めたわけではなくて、ネパール料理のレストランをやろうかなって思ってたんです。ネパールでは登山隊やトレッキングで、コックの仕事をしたこともあったから、なんとかやれるかなって。お店の場所も確保して。でも結局長く続けるところまではいきませんでした」
鹿野 「そこで、林業関係に進むわけですね」
(次回へ続く)
長野県松本城 撮影:理事むらかみみちこ
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