
山の日レポート
山の日インタビュー
「宙師(そらし)ラマ・ゲル・シェルパ 登山で培った技術で、いま信州の森を守る」1
2026.04.20
ネパール高地の村で生まれ、ヒマラヤ登山のガイドとして活躍してきたラマ・ゲル・シェルパは、縁あって2005年に来日し、現在は長野県松本市で林業専門の会社を経営しています。とりわけクライマーとして磨いてきた技術を生かした、困難な高木での伐採に従事する宙師(そらし)としては高い評価を受けています。この5回にわたるシリーズでは、その半生を聞き書きによってたどります。
語り手:ラマ・ゲル
聞き取り:2026年3月8日 松本市
聞き手:鹿野勝彦、梶正彦、むらかみみちこ
構成・執筆:鹿野勝彦(全国山の日協議会 科学委員会副委員長)

Lama Gyalu (ラマ・ゲル クライミングシェルパ、林業家、ツリークライミングインストラクター

鹿野 「まずラマ・ゲルさんの生年と出身地を教えてもらえますか」
ラマ・ゲル 「はい。生まれたのは1977年で、場所はネパールの、日本風に言うとサガルマタ県ソル・クンブ郡タプティン村です。ソルのなかでも西の方で、人口200人ほどのシェルパの村です」
鹿野 「じゃあ、村のあたりにはトゥーリストはあまり来ない、農村だったわけだ」
ラマ・ゲル 「そうですね。父は、これも日本風に言うと宮大工みたいな仕事をしていました。で、村にはいい学校がなかったこともあって、私は14歳くらいの時、クンブの南に位置する、飛行場があるので有名なルクラへ行って、これもヒマラヤの登山では有名なナワン・ヨンデン(注1)さんのところで、まず登山隊やトレッキングの雑用係みたいなことから修行を始めたんです」
鹿野 「え、そうだったんだ。ヨンデンさんはロールワリン(クンブの西に位置するシェルパの村のある谷)出身で、僕は1973年にロールワリンで調査をしてたんだけど、そのころ彼はまだ10歳くらいの少年だった。
で、1984年に僕ら(鹿野、梶)が日本・ネパール合同隊でカンチェンジュンガの縦走(注2)をやったとき、彼はネパール側のメンバーで、中央峰を登頂した。
あなたはこの協議会が2022年に富山県黒部市でやった「国際山岳年+20」のシンポジウムに家族で来ていて,僕はそのときに、やはり協議会のHPで紹介しているダルマ・ラマさん(「「 東奔西走 ダルマ・ラマ 富山からネパールと日本、世界を結ぶ」参照)(注3)と一緒にあなたに会ったけど、個人的な話はしなかった。でも僕らとあなたは、ヨンデンさんを通じてつながってたんだ」
ラマ・ゲル 「そうですね。私は1991年からずっとヨンデンさんのところで働いていて、日本隊のほか、スイスとかノルウェーとか、いろんな国の登山隊の高所ポーターやトレッキングのガイド、最後はサーダー(高所ポーターのリーダー)もやって、チョモランマには2回、ほかにチョーオユーやシシャパンマなんかにも登りました。
とにかくヨンデンさんのところには、いろんな国から参加してほしいとか協力してほしいっていう要請が来ましたから」

故郷タプティン村 ラマ・ゲルさん提供
鹿野 「では、ネパール国内だけでなく、中国にも行ったわけだ」
ラマ・ゲル 「はい。ほかにもインドのケダルナートとか、パキスタンのチョゴリ(K2)にも行ったし」
鹿野 「そういう意味で、シェルパの人たちの適応力ってすごいと思う。ただ山に登るだけじゃなくて、全く文化の違う国の人たちに雇われ、いろんな国や地域に行って、そこに住む人たちともうまくやっていくわけだものね」
ラマ・ゲル 「まあ、ネパールの国のなかにはいろんな言葉を話し、いろんな宗教を信仰する人たちがいて、そこで私たちはマイノリティなわけだから、それがいやおうなしに身についているのかもしれませんね。で、私たちは、まず自分はシェルパなんだってことに、プライドを持っています」
(2回目に続く)

右のナワンヨンデン氏とは師弟関係 ラマ・ゲルさん提供

ローツェ南壁記事写真に写っているのはラマゲル ラマ・ゲルさん提供

エベレスト遠征1998.5 ラマ・ゲルさん提供

エベレスト山頂2002.5 ラマ・ゲルさん提供
(注1)ナワン・ヨンデン(Nawang Yonden Sherpa):
ネパール・ロールワリン地方出身のシェルパ。ヒマラヤにおける高所登山遠征において、サーダー(現地統括責任者)として多数の国際隊を率い、エベレスト、K2、ローツェ等の主要高峰に関わる豊富な経験を有する。厳冬期エベレスト登頂の実績を持つなど、その卓越した技術と統率力により、国際的登山界において高い評価を受けている。
(注2)カンチェンジュンガ三峰連続縦走(1984年)
日本・ネパール合同隊による1984年のカンチェンジュンガ(8,586m)縦走は、日本山岳会(JAC)創立80周年記念事業として行われた。この遠征の最大の特徴は、世界で初めて8,500m級の3つの峰(南峰・中央峰・主峰)を繋ぐ稜線を走破するという、ヒマラヤ登山史における画期的なプロジェクト。
聞き手の鹿野勝彦は隊長として、梶正彦はマネージャーとして隊に参加した。
(注3)
山の日ホームページ記事
「東奔西走 ダルマ・ラマ 富山からネパールと日本、世界をつなぐ」
下記リンクよりごらんください
撮影:理事むらかみみちこ
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