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山の日レポート

山の日レポート

山の日インタビュー

東奔西走 ダルマ・ラマ 富山からネパールと日本、世界をつな ぐ

2023.09.01

全国山の日協議会

伝統的な仏画絵師と先進的な農業経営者 二つの顔を持つ富山在住ダルマ・ラマさんの活動(第1回)

 ネパールから富山に来て19年、伝統的な仏画絵師と先進的な農業経営者という二つの顔を持って、ネパールと日本、さらには世界をつなぐ八面六臂の活躍をしているダルマ・ラマさん。その活動のプロフィールと今後の目標を、10回連載の予定で、縦横に語ってもらいます。
 聞き書きと構成は鹿野勝彦、この連載のための聞き取りは2023年6月30日に、ダルマさんの活動拠点である富山県射水市の葉っぴーファームで行いましたが、内容にはそれ以前に鹿野が様々な形で聞き取った話も組み込んでいます。

ダルマさん提供

ネパールの村での少年時代

鹿野  「お生まれは、あとで話にも出る大地震後の復興過程についての調査で、私も2017年に連れて行ってもらったけれど、ネパールの首都カトマンズの東方にあたるシンドゥパルチョク郡リサンク村ですね」
ダルマ 「はい。生まれたのは1973年です」
鹿野  「そのころ、というか、ダルマさんの子供時代の村のようすは、どんなだったんですか」
ダルマ 「うーん。もちろん今とはまるで違いましたね。先生がはじめてネパールに来たのは1970年だそうだから、そのころのネパールの村のことは、僕より良く知ってるかもしれないけど、リサンクはカトマンズにわりと近いといっても、村から自動車道路にでるまでは歩いて2時間以上かかった。そこで一日に何本かしかないバスを捕まえて、5時間くらいでようやくカトマンズにつく。だから村の人はせいぜい年2回くらいしか、カトマンズへは行かなかったと思います。
学校も5学年までの小学校しかなかったし、お店らしいお店もなかった。村ではほとんどの家は農業しかしていないし、お金もまだあんまり使われていなかった」

地図

鹿野 「で、村に住んでいるのは、ダルマさんもそうだけれど、民族としては大部分がタマン(民族)の人たちだったわけですね」 
ダルマ「そうです。だから学校ではネパール語を使うけれど、日常生活ではタマン語のほうを多く使う。二つは全く別の言葉です。それにタマンは仏教徒、それもチベット仏教徒で、詳しくいえばそのうちのニンマ・パ(古派 注)だけれど、ネパール国民の多くはヒンドゥー(教徒)で、当時絶対権力を持ってた王様もヒンドゥーだから、村ではタマンは多数派だけれど、国民としてのタマンはマイノリティーです」
鹿野  「そのへんの感覚は、日本人にはなかなかわかりにくい・・・」
ダルマ 「ただ当時はまだ子供だから、そんなものだって思ってた。で、もう一つ大事なの
は、自分がラマ一族のメンバーだったことですね」
鹿野  「と、いうと・・・」
ダルマ 「これも今ではだいぶ意味が小さくなったけれど、タマンのなかではラマ一族は特別で、お坊さんになれるのはラマ一族の人だけでした。当時は子供が生まれたり、結婚したり、人が亡くなったり、とにかく人生の大事な節目にはお坊さんを呼んで、いろんな儀礼をしないといけない。ラマの一族のだれでもがそれができるわけではないけれど、私の家では、おじいさんもお父さんも僧侶として尊敬されていて、私も子どものころから、なにかの儀礼に呼ばれてゆくおじいさんやお父さんについて行ってたから、自分も大きくなったらそうなるんだろうって思ってました」

東部ネパールの道路から北側にヒマラヤを望む(2017年鹿野撮影)

鹿野  「仏画を書くようになったのも、そういう関係からですね」
ダルマ 「そうです。見よう見まねで」
鹿野  「暮らしぶりはどんなだったんですか」
ダルマ 「お金をそんなに持ってたわけじゃないけれど、土地はかなり広く持ってて、それを貸していた。まあ地主ですね。村の人に田んぼや畑を貸して、そこではおもにコメ、コムギ、トウモロコシ、シコクビエなんかを作っていた。収穫期になるとできたものの半分をもらう。で、食べるには困らないし、田んぼや畑を作っていない職人さんなんかにはそれを少しずつ売るとか。余裕はそれなりにあったから、私を含め兄弟はみんなカトマンズの上級の学校に行けたわけです」
鹿野 「僧侶としての収入もあったんですね」
ダルマ 「たしかに儀礼に呼ばれていけば、特に相手の家がお金持ちだったら、お布施をたくさんもらうこともある。でも、貧しい人のところだったら、ほんのすこし。それに家とは別に、管理していたお寺を維持するための経費もかかる。だから、お坊さんというのは、職業というより、義務みたいなもので、プライドはあったけど、収入のことはあんまり考えてなかったと思います」
鹿野  「できればそのころのダルマさんや村のようすがわかる写真を貸してほしいんですが」
ダルマ 「残念ながら、一枚もないんです。そのころ村にはカメラを持ってる人もいなかったし」

チベット文字の祈祷旗があるのはタマンの村(2017年鹿野撮影)

注  ニンマ・パ チベット仏教の古い宗派。僧侶の仕事は世襲で男子に引き継がれる。
   タマンではラマ一族がそれを担っていた。それに対し改革派であるゲルク・パではダライ・ラマをはじめとする高位の僧侶は結婚せず(したがって僧職の世襲もなされず)、特に高位のラマの位は転生によって継承される。

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