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山の日レポート

山の日レポート

山の日インタビュー

連載③ 東奔西走 ダルマ・ラマ 富山からネパールと日本、世界をつなぐ

2023.10.01

全国山の日協議会

第3回 日本に移住して

鹿野  「来日は、2005年ですね」 
ダルマ 「はい。30歳をすぎたころです。結婚したのは2004年で、しばらくカトマンズに住んでたんですけど、子供が出来て、出産は日本のほうが安心だからというので、来日したんです。妻は1990年代末から毎年のようにネパールに来ていましたが、結婚しようって決めたのは2003年かな。でも、それを認めてもらうまではやはりなかなか大変でした」
鹿野  「それはそうでしょうね」
ダルマ 「最初は双方とも、家族は反対でした。でも、私のほうは、最終的には父や兄が、日本人は仏教徒だからって、認めてくれました。くわしくは知らないけど、妻のほうは、もっと大変だったと思います。日本ではネパールのことをよく知ってる人はそんなにいないし。もっとも、よく知ってたら、もっと反対されたかも・・・」
鹿野  「うーん、たしかに。で、ダルマさん自身の日本の第一印象はどんなものでした?」
ダルマ 「とにかくきれい。清潔。ゆたか。たとえば、大きな町のにぎやかな通りにも、ごみはほとんど落ちていないし、物乞いの人がひとりもいないとか。もちろん話には聞いていたけど、やはりびっくりしました」

結婚式で(ダルマさん提供)

鹿野  「それで、最初は富山市に住んでいたわけですね。そのころの生活はどんなだったんですか」
ダルマ 「来たばっかりのころは、やっぱり寂しかったですね。カトマンズにいたときは、仕事だけでなく、友達と会ったり、日中は一人でいることはほとんどなかった。電話もしょっちゅうかかってくるし。富山では知り合いもいないし、することもない。
妻や家族の人からは、まあ慣れるまでゆっくりしててくださいって言われたけど、そうもいかないと思った。だって30歳すぎてますから、ほんとなら一番充実した時期のはずですよね」 
鹿野  「言葉の問題が大きかったのかな」
ダルマ 「いえ。それは皆さんに言われるし、大変じゃないって言えばうそになるけど、でも話すだけなら、ネパールにいる間から、日本語は多少は妻との間でも使っていたし、だいたいネパールでは、というかインドでもそうですけど、字が読めない人でも、3つや4つの言葉を話すのは、あたりまえじゃないですか。
ただ日本語の文字のことは、これもネパールにいたころから、漢字、ひらがな、カタカナの3種類があって、漢字は何千もあるって聞いて、大変だろうなって想像はしてたけど、実際に使うことはなかった。だから最初はたしかに文字を覚えるのは大変でした。今ならスマートフォンのアプリを使えばだいぶ楽みたいだけど、まだそんなものなかったし。でも、小学生だってちゃんと覚えていくんだから、自分もそのうちわかるようになるだろうって、そんなに心配はしてませんでした」

自作のマンダラ画

鹿野  「じゃ、一番むつかしかったのは、なんだったのかしら」
ダルマ 「そうですね。うまく言えないけど、日本で仕事をするってどういうことなのか、それを本当に理解するまでがけっこう大変だったことでしょうか」
鹿野  「もう少し具体的に言うと?」
ダルマ 「日本に来たばっかりっていっても、お客さんとしてきたわけじゃない。ここで暮らしていく以上やっぱりちゃんと仕事を持たなきゃ、とは最初から思ってました。でも日本では、というか少なくとも富山では、チベット仏教の仏画師では、生活はできそうもない。だから仕事があればなんでもしようって思ってた。
ネパールだったら、カースト的な考えが今でも残ってて、あの仕事はこのカーストがするものだとか、あの仕事は汚れているとか、いろいろある。私たちは仏教徒だから、そういうヒンドゥー教的な考えには批判的で、人はみんな平等だし、仕事も必要なことだったら基本的にはいいとか悪いとかはないって、そこまでは思ってたんです。だからなんでもやるって。
でも決まった時間に出勤して、決まった時間まで仕事をして、それで一月いくらの決まった額のお金をもらうとか、自分がどれだけ働いたかに関係なく、会社の業績によってその金額が変わるとかいう仕組みは、考えたことがないっていうか、まったく理解してなかった」

砂マンダラの制作(ダルマさん提供)

鹿野  「なるほど。で、最初はどんな仕事をしたんですか?」
ダルマ 「たまたまある製材会社が働く人を募集してて、その会社の工場に面接に連れて行ってもらったんです。実は工場に入ったとたんに、あ、ここは自分には無理、って思った。だって大きな材木がごろごろしてて、見たこともないような大きな機械があっちこっちでうなりをあげて。
でも面接をしてくれた人が、すぐ慣れますよって、採用してくれた。やはり人手不足だったんでしょうね。働いてる人は大部分が私よりずっと年上でで、僕は若かったし。3か月ほど研修があって、それから本採用。
出勤すると、まずタイムカードを入れる。帰るときはそれを出すんだけど、しばらくは、これってなんだろうって思ってた。仕事は機械を扱うことが多いんだけど、そのスイッチにも漢字が書いてあって、最初は読めないから不安だったけど、そのつど誰かに聞くわけにもいかないから、場所と形を覚えて、えいって入れたり切ったり、そんな具合でした。結局その会社で4年くらい働いた」                
鹿野   「で、やめたのは?」
ダルマ  「会社が倒産したんです。リーマンショックっていうんですか。あれで」 

(次回は10月16日掲載)

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