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山の日レポート

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自然がライフワーク

【連載】地図(地形図)についての雑記帳 その2~山で地図を使う~

2022.03.01

全国山の日協議会

金沢大学名誉教授 文化人類学 鹿野勝彦(全国山の日協議会 評議員)

前回【地図との出会い】から連載が始まりましたが、今回は【山で地図を使う】小学5年生の鹿野少年について綴っていただきました。

山で地図を使う

最初に一人で出かけたのは小学5年生になったばかりの4月下旬の日曜日。目的は一年のなかでもその時期にしかあらわれないギフチョウだ。何日も前から天気予報を気にしながら、持ってゆくものをそろえた。母からは「万一の場合に備えて」と百円札を渡された。今思えば、やはり相当に心配をしていたのだろう。どんなときが万一の場合なのか、そこで百円札がどう役に立つのか、よくわからなかったが、とりあえず受けとっておくことにした。

当日はなんとか晴れて、始発の電車で浅川に向かい、歩き始めたのは6時前のことだ。当時の小学生には、自分の時計を持つなどありえなかったから、駅の時計を見て確認したのだが、あとは地図に書き込んだ予定しか頼るものがない。叔父には、太陽が真南に来たら正午だと教えられ、磁石も貸してもらったので、それがおおよそであれ、時刻を知る手掛かりということになる。あとは大人が通りかかったときに尋ねれば時間を教えてもらえるだろう。

しばらく街中を歩いて、山道に入ったところで捕虫網を出し、採集をはじめる。お目当てのギフチョウは姿も見せないが、ミヤマセセリとかコツバメとか、やはり春先にしか出現しないチョウを手に入れると、だんだん気分も高揚してくる。それらのチョウの採集地点も地図に書き込んでゆくと、その地図が自分だけのかけがえのないものになってゆくような気にもなってくる。

しだいに雲が増え、分厚い雲に覆われてしまった

だがしだいに雲が増え、小仏峠に着くころには、全天がかなり分厚い雲に覆われてしまった。太陽がどこに位置しているかもわからないし、山道に入ってからは誰にも会っていない。今、何時ごろだろうということが、気になりはじめたが、見当がつかない。

地図の欄外にある記号の説明は、小学生が見たこともないやたらとむつかしい旧字体が使われていて、横書きでも右から左へ記されていたし、言葉の意味自体がわからないものも少なくなかったが、主な山の頂上には三角点というものがあることは理解していた。ともかく最終目的地である景信山に向かい、三角点を確認して昼食にする。しかし時間についての不安が先にたって、それもそそくさと済ませ、あとは休みもほとんどとらず、曇天でチョウが姿を見せなくなったこともあって、浅川駅に着いたのは午後1時ごろ、することもないからすぐ電車に乗って、結局、家には3時前に戻ってしまった。

「ずいぶん早かったわねえ」と母に笑われ、叔父には「空間と時間のバランスがとれなかったんだな」と、小学生にはいささか理解しがたい、やけにむつかしいことを言われた。それでもチョウを標本にしたり、地図上にたどった道筋を赤鉛筆でなぞったりしながら、ある種の達成感を感じていた。後に読んだ、当時人気のあった(そして、私を含め、今もある年代以上の人々には根強いファンがいる)エッセイスト辻まことの「多磨川探検隊」には、やはり小学5年生のとき、友人と二人で多摩川の源流を目指して、東京のどこかから川に沿って歩きはじめ、2日目に八王子で5万分の1の地図を買って、それを頼りに3日目に景信山にたどり着いたことが記されていて、懐かしかった。ただしそれは私より30年近く前のことだ。彼が使った当時の地図の発行元は、陸軍に属する陸地測量部であった。(つづく)

ガイドブックの地図

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